月組中日劇場公演『風と共に去りぬ』2月22日(日)11時公演と15時30分公演の感想の続き。
あんまり誉めてません。
●ちゃぴのメラニーはよかった。
心が美しくて優しくて強い包容力のあるメラニー。
芝居も歌もビジュアルも充分。
――なんだけど、完全に満足はできなかった。
去年の梅芸公演を私は1度しか観ていないのだけれど、あのときは「神がかっていた」記憶があるんだよね。
神聖で、なにものにも侵されることのないメラニー。
透明感の奥に青白い光が立ちのぼるようで、それがレット・バトラーすら包み込むような神々しさを感じさせたんだ。
その記憶に比べると、今回は人間になった。
人間寄りになったところで充分に器が大きく強く優しいメラニーではあるのだけれど。
そして、梅芸でのメラニーは、記憶を美化しているだけという可能性もある……。
身体の弱いメラニーがお腹を抱えながら倒れる姿は美しかった。
演技力と身体能力のなせるわざなのだろう。
●ところで、今ごろになって『風と共に去りぬ』のウィキを読んだんですが、スカーレットは最初の夫・チャールズとの間に1子を設けているんですね。
だから原作上ではアトランタに喪服姿で現れる段階で子供連れ。
メラニーの妊娠に気づかなかったのも「あなたには経験がなかったわね」ではなくなる。
宝塚版ではもちろん子供はいない設定で話が進んでいくんですが、不倫や再婚はしてもそれを「母」がおこなうのはまかりならぬという、当時の客層や宝塚大劇場で上演する上でのすみれコード的なものを考えてのことなのかな。
●みやるりのベル・ワットリングは、娼館の女主人の雰囲気はあまりない。
きれいだけれど痩せすぎていて、豪放さがあまりないのが原因かな。
女主人というより、たまたまレット・バトラーの庇護によって地位が上がった娼婦、くらいに見えた。あまり経営にはタッチしてなさそう。
(舞台が日本だったら、肺病で苦しむ遊女が似合いそうである。『JIN-仁-』の夕霧さん的な……あれは梅毒だったけど)
町のご婦人がたに眉をひそめられるような不躾さや俗悪な感じは受けない。
派手な身なりもいかがわしい商売も時代と身の不運ゆえで、彼女の人格には関係のないものに見えた。
どうしてもハマコや緒月版と比べてしまうんだけれど、この2人だとまずビジュアルがあまり宝塚のスターらしくなく、それゆえに娼館の女主人らしい俗っぽさが表に立ち現われていた。
が、なんせみやちゃんの場合はスターさんな美しさをお持ちなもので、それを打ち消すのは大変だろう。
また、芝居もけっして悪くなかったけれど、宝塚的な美しさに満ちていて、こちらも俗悪な印象はほとんどない。
ゆえに、ベル・ワットリングの俗な表の顔と清らかな内面の明暗が際立たなかったのが残念である。
ソロは雰囲気があってよかった。
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