蘭蘭『ファントム』感想・3

2021-02-11花組公演感想,花組

6月24日15時公演(金・初日)と同25日(土)11時公演の感想です。
ちなみに7月に役替わりを1回と大劇場の新公も観る予定…。チケットと宿は手配済み。

えーと、25日の11時公演なんですが、記憶違いでなければ蘭寿さんがすごい言い間違いをしてたような…。

「ぼくは君が小さなころ聞いた声をしている」…うろ覚えですが、こんな。
逆やっ。

蘭寿さんのエリックは基本、光の中にいる人のようでした。
どうしてもオサさんバージョンを基準にしてしまうのですが(タカコさんバージョンは未見)、あの耽美さや暗さを「正解」と思ってみると変な感じがします。
この「変」さはキャスティングが発表された段階で覚悟したことではありましたが。

けれど、オサバージョンを基準としなければ、蘭寿さんのエリックはこれはこれでとてもよいエリックでした。

自分の外見に悲しみはあり、またオペラ座の地下に住み、地上の人間たちに「幽霊」と呼ばれているけれども、エリックの心根はあくまで明るく優しい。
1幕にある「Where In The World」(世界のどこに)の最後、「限りなく求め続ける 天使の声を」と歌いあげたあとで、うん、とうなずくエリックに光をみました。
(うなずくところがなんかかわいい)

彼は光の住人で、光を求める。
自らを照らしてくれる光=クリスティーヌを求めるだけでなく、自ら人を輝かせようとする。

オサのエリックは音楽のために生き、そこに救いを求めている感じがしたけれど、蘭寿さんのエリックは音楽が生きがいではあるけれどもそもそも救いを必要としていない。

音楽はとても大事だけれど、でももしそれを失っても彼は生きていけると思う。
彼はあらゆるものをなくしてもひとりで立っていける。
いや、従者たちや父の手を借りて、きちんと立ちあがる。

そう、蘭寿さんのエリックは人間関係の築き方がまっとうそうで、だからか、今回はあまりマザコンな感じがしませんでした。
クリスティーヌとの関係も、母の面影を求めたり自分にないものを欲しがるのではなく、自分がなにかを与えることができ、自分といっしょに歩いていってくれる女の子としてクリスティーヌをみているような感じ。

ビストロで「フェアリー・クィーン」のタイターニア役を射止めたクリスティーヌのために、パリの夜の街角で花を手にたたずめる男なんだ、彼は。
きっと、クリスティーヌのためなら昼のさなかにも街角へ出られる。

気性がまっすぐで明るくて優しい。
人前に出ないのも仮面をとろうとしないのも、自分が傷つくことよりも、自分の外見が人を怯えさせることを望まないから。
そして仮面をとった自らの姿に悲鳴をあげたクリスティーヌに慟哭の声をあげても、いつか彼はひとりで立てる。
明るくてまっすぐで健康的なエリック。

怪人=エリックではなく、人間=エリックを中心とするこの『ファントム』としてはこれもひとつの「正解」だと思います。

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