『オネーギン』感想・1

雪組,専科

『オネーギン』青年館初日を観てきました。
初日を観てこれが最後というのが残念ですが、残念だとちゃんと思えるくらいによかったです。
(※以下、少々ネタばれが入るのでご注意。
ほんとにバレるとアレなところなごく一部だけは隠してあるので、構わないという人はドラッグして反転させて読んでいただければと。)

舞台美術がきれいで、出演者たちもちゃんとしていて、脚本が破綻してないっていいなぁ。

原作の日本語訳はまだ半ばまでしか読んでいないんですが、原作とは少々アレンジしてありますね。
まず違うのは叔父の扱い。
原作ではオネーギンが専科のヒロさん演じるワシーリィーの財産を継ぐところから話が始まるけれども、宝塚版ではワシーリィーは芝居の最後に亡くなる。

彼の死を迎え財産を継ぎ、それが革命前夜のロシアでどういう意味をもつかということを考えると深いものがあります。たぶん。
私は政治にも歴史にも明るくないので、そのあたりの解釈はすんなりとはいきませんが。

封建的な貴族社会の中、にわにわ演じるリツェイ(貴族学校)時代の師であり革命指導者でもあるラフスキーが捕らえられ、かれらの行動は失敗に終わる。
そんなときに叔父の死を迎え財産を得、領主となるオネーギン。
だが彼は銃を手に立ち上がる。
もちろん革命のために、ということでしょう。

タチヤーナとの恋愛ももちろん話の核ではありますが、革命もそれ自体話の骨です。
だから最初から緒月演じる「ある革命思想家」が出てきます。よく絡んできます。
最終的に明かされる「ある革命思想家」の名前――A・プーシキンであることに驚きつつ、膝を打つ思いでもあります。

1幕の終わりでも銃を手にし自らの頭に向けようとするけれども(これはひろみ演じるウラジーミル・レンスキーと決闘し倒したことにゆえんを発する)、恋のために銃を手にしていたのとは違う。
生まれ変わった――という表現でいいのかわからないけれども、かれの内面にためられていたマグマのようなものが動き出す、そんなたしかなものを感じました。

主役オネーギンの理事様はさすがでした。
繊細で複雑な性格がよく伝わる。
『コインブラ物語』では役不足で残念な思いをさせられたので、今回のようなやりがいのありそうな役と充分な芝居をみれて満足です。

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