『幕末太陽傳』感想・2
原作映画の『幕末太陽傳』について、ウィキにはこのように書かれています。
45歳の若さで亡くなった川島雄三監督の代表作である異色コメディ映画で、実在した遊郭「相模屋」を舞台に起こる様々な出来事をグランドホテル方式という構成で、テンポ良く描いている。
グランドホテル方式。
数人のキャラクターのストーリーラインを並行して進行させたり、エピソード毎に異なるキャラクターに焦点を当てるという手法。
ゆえに、いろんな人に見せ場があり、舞台では人がわちゃわちゃしてます。
2階建ての楼がセットとして組まれているので、1階でメインストーリーが進んでいても2階ではまたなにかやってたりするから目が離せない、目が足りない。
芝居のプロローグみたいなところでは後に「三枚起請」でやりあう親子(初日近くはまりんさんと代役に入った縣くん)がいろいろやってたり、あと終わりあたりでは坊主の天月くんを2人で押しあったりしていて……何やってんだ?
がおりちゃんの鬼又がすました顔しながら挙動が落ち着かない様はこれもつい見てしまう。
ワクテカのAAが浮かんだわ。
映画でも思ったけれど、だいもんの役・高杉は「2番手?」って感じがしました。
あまりがっつりとちぎたさんとは絡みません。
彼もまた、相模屋に集う一人にすぎません。
もっとも「2番手?」と感じた理由は、出番がどうこうというよりは心理的な切った張ったがほとんどないからかな。
宝塚的なスターシステムを前提とするならば、物足りなく感じる人もいることでしょう。
だいもんの役割は開国前夜の時代の空気を出すことでしょうか。
世の中が大きく変わろうとしているときに、落ち着きなく生きている小平次の性格のベースとなる部分を現す役割なのかな、と。
佐平次の「首が飛んだとしても 動いてやる」という生への渇望。
時代の胎動の中で、心ならずも病を得ているかれのマグマのようなものを後押ししているように感じました。
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