
映画『国宝』を見て原作本を買いました。(興行収入すごいことになってるわね)
長崎の極道の息子に生まれた喜久雄が大阪の歌舞伎役者に引き取られ、修行の末に人間国宝になるという大枠は同じ。
でも、それ以外の部分は大きく違いました。
改変もあるけど、映画化するにあたってざくっと削ぎ落したものが大きいのね。
簡単に言えば人間関係。
映画『国宝』は喜久雄と俊ぼんの2人がクローズアップされて、この2人の関わり合いが密接。
喜びも悲しみも2人が互いを軸にしている。
でも小説『国宝』は2人は複雑な人間関係の中にいて、互いに影響を及ぼしつつもそれぞれの人生を生きている。
喜久雄と俊ぼんが運命共同体、鏡の裏表のようだった映画とは関係性が違う。
逆に徳次(徳ちゃん)は、映画では少年時代くらいしか出番がなかったが、原作での存在はとても大きい。それこそ俊ぼん以上に存在感がある。
少年・喜久雄の登場から出ていた彼は、ラストシーンにもつながってくる。
原作に強く感じたのは「仁義」だ。
ヤクザの家に生まれた喜久雄はかえって真っすぐで、嘘はつかず、おべんちゃらも言えず、自分の身が危うくなることを知っても恩ある人をないがしろにはしない。
徳次はその「仁義」を尽くしてくれる存在だ。
女たちも、また。
喜久雄の養母・マツは大阪に出た喜久雄のために身を削って仕送りをする。
俊ぼんの母・幸子は夫・半二郎の死と息子の出奔により新興宗教にもハマるが、喜久雄は支えていく。借金も返す。
自分の父の死に関わる辻村をも、興業の世界での恩もあり、義理を果たす。
さらに、映画には出てこなかったお笑い芸人の弁天などもいて、テレビ界との比較もある原作に比べて映画は「歌舞伎」にクローズアップされていることがわかる。
原作のボリューム上、マツ、彰子、藤駒、綾乃などの女性陣の書き込みも多い。
映画版は、とにかく「歌舞伎」に焦点をしぼり、人間関係も喜久雄と俊ぼんの関係性に集約させたのだなと。
映画監督・李 相日氏の「なにを見せるか」の決断の大胆さにうなる。
映画も小説も、どちらも違った味わいで、どちらもとても面白いです。


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