
『雨にじむ渤海(パレ)』を配信で見ました。
1月31日(土)14:30からの公演です。
『雨にじむ渤海(パレ)』の話
『雨にじむ渤海(パレ)』を配信で見てから、数日はあの世界に囚われておりました。
熱に浮かされたようなとまではいかないものの(こちらも若くないので)、ただずっと体の回りや思考の底に、渤海の空気がまとわりついてるような。
作品がよかったですよね。
主人公も、相手役も、ヒロインも、相手役の婚約者も、それぞれがそれぞれの人生を生きてて。
もちろん、ほかの登場人物も。
没落する国の最後に、命を賭して立ち向かう王と王妃。
翻弄される民衆。
それぞれに思惑を宿した各国の政治家、貴族。
政治と恋と人間愛が濃く繊細に描かれていて、物語の組み立ても精緻で、画的にも美しく、とても見ごたえのある作品でした。
ポスターも素敵でねぇ。ストーリーを知ってからだと「雨の中、酔っ払いを背負ってるだけ」と苦笑する事案になるんですけども(笑)。
2番手(相手役)/セウォン/あみちゃん
この公演の2番手であり、作品的には主人公の相手役であるセウォンを演じたあみちゃん。
かれが、この物語を引っ張ってくれました。
なんと言っても上手い。技術的に上手いってすごい、素晴らしい。
相手役があみちゃんじゃなかったら、テ・インソンとセウォンの人間愛から発した運命の恋ともなんとも形容しがたい関係性は、たぶん成り立たなかった。この作品に説得力をもたらしたのはあみちゃんでしょう。
セウォンがインソンを見る素朴な横顔が印象的で、ずっと記憶に残ってる。(私は視覚的な記憶力がとても弱いので、こういうのは珍しい)
あみちゃんの目の演技がすごかった。
喜怒哀楽や恋の強い感情を出す場面じゃなくて、ただ話を聞いてるだけ。インパクトのある表情ではない。
それだけに、セウォンの純粋な人となりが見えるようで。インソンの気持ちが分かる気がした。
それから、雨で自分の絵が濡れることを案じてくれたインソンに向ける目も。
そこが節目だったのか、空気が変わった。
ただ、自分の命を助けただけの人間じゃなくて、心がインソンに寄っていくのが伝わる。目は口程に物を言うどころか、ときに言葉以上に雄弁だ。
出会ったとき、というのは拾ったインソンが目覚めたときだけど、そのときは素朴な雰囲気。
ひとりの民衆にすぎない人としての素朴さ、飾らなさをナチュラルに演じる。
こういう自然さってかえって難しそうなのに、気負わず演じる。ただ、セウォンとして生きて存在している。
「毒入ってた?」のだまし討ちはお兄ちゃんだなと。
また、あみちゃんは芝居歌のうまさも際立つ。
声に心が乗り、景色を見せ、セウォンの感情を伝えるだけでなく場面に色や匂いを、形を与える。手触りと温度のある歌声だ。
セウォンの心を歌に乗せてドラマが生まれていく。
もしセウォンが女性だったら
今作の主人公・テ・インソン(ぱる)には妻がいて、波線上での扱い。
のの子演じる王妃ウンビンはヒロインという扱いなのでしょう。
しかし作品はぱるあみエンドで、インソンの相手役はあみちゃん演じるセウォンであるというのは間違いない。
そのため「セウォンが女だったらそこまで珍しくない話じゃない?」という反応もありました。
そこで、あみちゃんのセウォンが女性役だったらどうかというのを考えてみたのですが――。
もしセウォンが女性だったら、正妃のウンビンに対して、気まぐれで手をつけた村娘という立ち位置になる。(肉体関係の有無は別として)
そうなると、たぶんセウォンと王妃・ウンビンが対立関係と位置付けられ、ラストで別れた王妃・ウンビンは「負け」となってしまうのですよね。
女性なら、インソンとセウォンの魂が呼び合った、という「人間愛」の「きれいごと」が通用しなくなる。
インソンを「王」というしがらみから解き放った王妃ウンビンの潔さや美しさも損なわれる。
内実はどうであれ、セウォンが女性だとどうしても俗っぽい形で決着してしまう。たぶん、ウンビンも今よりやりきれない。
セウォンが男だからこそ、相手役とヒロインが恋愛の勝負にならずにすんだんじゃないかなぁ。

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