『MESSIAH』感想・3

花組

花組大劇場公演『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』の感想の続き。
7月に2回観たのは気合いの立見だったんですが、8月5日(日)11時公演でようやく座って観劇できました。
2階席だったので舞台全体を俯瞰で観れて、そういう意味でも良かったです。見え方が変わるとまた違った面白みがあるのよ。

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『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』は原田作品らしく、装置やライティングがめっぽう美しい演目であった。
ちなみに装置は原田作品おなじみの松井るみさん。

・江戸城が豪華絢爛。めっちゃ部屋広そう!
きらきらしくもどこか日本的な暗さがあって、ああ日本のお城ってこうよね~って思った。

・リノが南蛮絵を隠している洞窟も隠れ家ぽくてよかった。
奥(海側)から差し込む光が美しい。

・ライティングがとてもいい!

一番好きなのは流雨が上手奥から出てくるときに舞台を斜めに走る光。
『心中・恋の大和路』っぽい。

リノが裏切りを勧められて銀橋にいるときの、本舞台の十字架を照らす光も好きだわ。

ただし、原城でみなが討ち死にするときに大階段にできる十字架は少々狙いすぎかな。

・最後まで「流雨さん」とヒロインをさん付けで呼ぶ主人公が新鮮だった。

そういやこれまでの物語って、なんでつきあいはじめたあたりから呼び捨てになるのが当たり前だったんだろう、とか考えてしまったわ。
彼女だろうが妻だろうが、偉そうに呼び捨てにされるいわれはないわなぁ。

みりお演じる夜叉王丸=天草四郎は、元は倭寇(海賊)であったが、遭難したところをヒロさん演じる益田甚兵衛の子として扱われるようになる。
わかりやすい「海賊らしさ」を出すなら女なんて邪険に扱ってもよさそうなものだが、そうはしなかった。
メサイアとなる四郎、マリアの具現である流雨ということを思えば、「流雨さん」と丁寧に扱い、また扱われることにも意味があるのだろう。
人をきちんと扱わなけば、人はついてこない。

本来、よそ者である夜叉王丸にとっては、天草や島原の苦しみも捨てておいて構わない程度のものだろう。
けれども益田甚兵衛らと出会い、誰とも知らぬ――どころか、倭寇であることを知ってすら自分を受け容れてもらうという経験をする。
天草や島原の人たちにいくぶんかの思惑はあろうとも、自分を受け容れてくれたという想いゆえにメサイアとなることを選んだ。

冷静に考えると、原城で命運をともにするには少々動機が薄くないか?とも思うけれど(主に人物像の書き込みのせいで)、みりおたちの演技がそのアラを埋めていた。
天草四郎がメサイアと崇められるに至る流れは、みりおのセリフの説得力で、すとんと腑に落ちた。

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Posted by hanazononiyukigamau