『1789』感想・10

2021-02-13月組公演感想,月組

ちゃぴ演じるマリー・アントワネットが、私には間違いなく今作の主人公に見えました。
はっきり言えば、ロナン以上に。

それはちゃぴの役者としての力量もありますが、描かれ方にも原因があります。
ロナンは歴史の激動期にいた、名もなき市民の1人。
対し、アントワネットは「名もなき市民」からはかけ離れた存在。
加えて、ロナンに比べてアントワネットは人間的成長が大きく描かれているためです。

登場時はギャンブルのルーレット衣装。
紗幕の奥に浮かび上がるシルエットに興奮をかきたてられ、全容があらわになったときは高揚感もマックスに。

ルーレットの大きなスカートがくるくる回る中ちゃぴは大いに歌い上げる。
可愛い。
この突きぬけた愛らしさ、浮遊感、これらが彼女の大いなる魅力の1つだと思います。
歌も素敵でした。

全組合わせて400名ほどいるタカラジェンヌの中で娘役トップの位置に就けるのは限られた人のみ。
その資質・資格をどこに求めるかはファンの数だけ考え方があるだろうと思いますが、私の場合はこの「浮遊感」がその1つです。
もう少しわかりやすい表現で言えば、フェアリーっぽさというか、生々しくなさというかになるのかな。
あとそれなりの実力とか一定以上のビジュアルとか。

スカートから抜け出し、ピンクの上着を脱いで水色のドレスに。
ここだけでも着道楽っぽくて楽しいなぁ。

「世界一幸せな王女のはずだった」「政略結婚の犠牲にはなりたくない」と歌うアントワネットは今もまだ少女のままだ。
子供が3人いてもそれは変わらない。
享楽的に生きる、けれど人に愛される明るく華やかな王妃。

ギロチンの模型を持ってきたルイ16世への反応や、ネッケルとアルトワ伯らのやりとりを聞いている様子の、王妃としての品と彼女自身のキャラクターのバランスが好きです。
彼女はそれらに関心がないけれども、不快感をあからさまにすることはなく、ただ愉しみにのみ目を向けているのがわかる。
場の雰囲気を何よりも重視し、優雅に人の輪の中で華やかにふるまう――そういう処世術や社交性を備えていて、彼女を育てた母親(マリア・テレジア)までもが浮かび上がるようです。

退屈しのぎにギャンブルで莫大な浪費をし、「神様に厳しく裁かれて 重い罰を受けても構わない」と王妃としての務めよりもアクセルとの恋を選んでいた彼女が、王太子を失い、フランス革命を目前にし「目覚め」ます。

この変化が見事です。
序盤は愚かさのあったアントワネットがすっと身の丈の伸びた姿を見せてくれるのですから。
この変わりようは、下手な人がやると人物の軸がぶれると思います。
脚本上ていねいに描かれているとはいえ、アントワネットというキャラクターに連続性があるのがいいんです。

亡命するポリニャックへの「今まで相談相手になってくれて有難う」という友情を感じる言葉。
ルイ16世への「いいえ。私は陛下と共に」「フランスの王妃として、陛下と共に生きて参ります」というやわらかくも毅然とした態度。
王妃のもとにとどまろうとするオランプに「選ばなくてはいけないわ」と言う強いあたたかさ。
いずれにも心を打たれます。

そしてそのあとのソロには涙を禁じ得ません。

1つにはアントワネットの清さに。
もう1つにはちゃぴの――愛希れいかというタカラジェンヌの成長に。

「神様が赦し給うのなら 最期のその日 来るまでは 妻と母として生きていきたい」と歌うアントワネットの、透徹した清らかさがすごいんです。
子を失い、フランス王家の危機を迎えて、そこで姿を現したアントワネットの心に、観客である私も呼応します。
全てが洗い流されるような歌声です。

思えば、ちゃぴという人は、こういう清らかなヒロインを演じさせれば天下一品でした。
ミーマイのサリー然り、風共のメラニー然り。
(サリーは育ちは悪いですが、心根は清らかですから)

このアントワネットもその系譜でありつつ、また一段超えたような位置にいます。

役者として、タカラジェンヌとして素晴らしいと思ったのは、一人で舞台を埋められること。
王妃として舞台に立ち、清冽な白いオーラで舞台も客席も充たしていることに、いちおうは初舞台から見てきた一観客として「大きくなったなぁ……」と感動せずにいられませんでした。

歌を聴きながら、アントワネットに泣き、ちゃぴに泣きました。

ただジェンヌとして何年も過ごし、トップ娘役としてのキャリアを積み重ねたとしても、この域に達することができる人は稀でしょう。

空間を支配している彼女は、娘役であるとかなんだとかという宝塚の「枠」を超えたところにいるように感じました。

ちゃぴは、これを演じるために宝塚に入ったのではないかと思えるほどの出来でした。
万人に観てほしい歌と演技です。

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