『My Last Joke-虚構に生きる-』感想・1

星組バウホール公演『My Last Joke-虚構に生きる-』を観てきました。
10月24日(火)11:30と15:00のダブル観劇です。
公演中止も珍しくない昨今、待ちかねた天飛バウが無事に開幕して、まずはよかった。
作・演出は竹田悠一郎氏。花組のほのかちゃんバウに続く2作目です。

「バウ・ゴシック・ロマンス」と題されているとおり、基本的には暗いです。
主人公であるエドガー・アラン・ポー自身がはちゃめちゃで破滅的な人物ですから。
そして彼の回りにいる女性たちにつきまとう死の影。

エドガーの先天的な繊細さと、身近な愛する女性たちを喪ってきた過去が、より彼を破滅へと導いていきます。

史実のポーは女性関係もかなり複雑だったようですが、そこは若手バウゆえか、それともヒロインとのロマンスに焦点を当てたがゆえか整理し改変されてました。
簡単にいえばポーの愛する人はヒロインだけ、他の女たちとの女性関係はなし。
ちづるちゃん演じるヴァージニア・クレムへ一途な愛を捧げています。

さて、その昔、少女と青年の恋は一大テーマと言ってもよかった。
そんな時代がありました。
ロリコンという言葉が席巻する前の時代の話ですね。

そのころ(というのは私が少女だったころか、さらに昔だった気もするが)は、平均初婚年齢も若かった。
私の母だって20代前半で結婚し子どもを産んでいたけれど、祖母の代であれば10代での結婚も当たり前だったはず。
であれば、うら若き少女の結婚相手が青年であり、2人の間にロマンスが起こることはおかしくはないんです。たぶん。

ただ、現代の視点で見てしまうとかなり辛いものがあるんですよね。

少女が青年に恋をするのはいい。
ただ、青年が少女に恋をし、執着し、救いを見るとなると――どうしても「ヤバいな」という感情が兆してしまう。

で、実際にポーはヤバい人だからね。
天才ゆえの狂気を持っている。
頭はよくても現実世界にはなじめない。

このヤバさにある種の説得力を持たせるには、ヒロインの属性がモノを云う。
ベタな話かもしれないが「聖少女」である。
狂った青年が見出す光としての少女である、母性である。
彼女でなくてはならないという、特別さを感じさせてくれないと、ただのロリコンになってしまう。
なにしろヒロインのヴァージニアは、当時ですら法的に結婚が認められる年齢ではないのだから。
(劇中で具体的な年齢は言及されていなかったが、演技その他からローティーンかせいぜいミドルティーンであると推測される)

で、設定上、詩ちゃんヴァージニアがポーにとって特別な存在であるということはわかる。
頭ではわかるのだが――……。

ポーとフランシス・S・オズグッド=るりはなちゃんの出会いの場面がいいのですよ。
るりはなちゃんは色っぽくてルリルリしてて上手いですし。(シャレではない)

なので、あまとポーとるりはなオズグッドが「運命の出会い」をしちゃったあとは絶対にすぐにこの2人=あまと・るりはなでロマンス発生だと思ったよね。
それなのに詩ちゃんヴァージニアを抱きすくめてるあまとポーの気持ちがよくわからず、混乱した。

なんでエドガーが「君がいなきゃだめなんだ」とヴァージニアに対して思ったのかが、私の中ではすとんと落ちてこなかった。
正直なところ、ヴァージニアがなんかしらんけどよく部屋に勝手に入ってくる少女、くらいにしか思えなくて。

そのへん、なんか脚本・演出で埋めてくれんと……。
いや、たんに個人的な娘役の好みの問題かもしれないが。
あと天飛くんとるりはなちゃんの相性がよすぎなんだと思います、ハイ。

主役級含めて個々人の演技などのスキルはよかったと思うんだけど、エドガー・アラン・ポーとヴァージニア・クレムの関係性だけしっくりきませんでした。

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