大正時代
海ちゃん演じる令嬢明子が年をとると明子(老年)のさち花になるのだけれど、ふいに三島の『春の雪』を思い出しました。
かつて月組でやってましたねぇ……さち花も出ていて、芝居のうまさに驚いた覚えがあります。
どうにも話が伝わらないことに気づき愛想笑いをするモボ・あみちゃんに「わかるぞ(笑)」と共感する。
そこからの「銀座煉瓦通り」への場面転換がうまいよね。
ぱるあみの体格差もいいコンビ感。
マネキン3人も素敵で、途中から動き出すお決まりもいいよね。
女学生のおとら、彦乃、しずよの3人組もいて宙組バウ『夢千鳥』を思い出す。
カフェーにはちなつ演じる芥川龍之介がいて、彼を気にする女給3人(せんりちゃん、桃ちゃん、妃純さん)。
この女給3人組が、ものすごく月娘らしい芝居で「月組見てるわーーーー!!」という気持になった。
地獄変
先にも書いた「地獄変」の場面について。
再び書きますが、芥川≒良秀のちなつが凄かったです。
ちなつの裸足ィィィ生脚ィィィというよこしまなファンとしての食いつきもありますが、車の中で焼かれる娘・女御を描こうとする良秀を演じるちなつの迫力と狂気がすごい。
良秀は絵にとりつかれた妄執の徒。
芸術至上主義であるがゆえに、愛する自らの娘が焼かれていても絵を描こうとする。
しかし燃え盛る火が消えたあと、彼は自らの命を絶つ。
現実社会は芸術至上主義とは相容れない。
倫理・道徳(が必ずしも機能しているとは思えないけれど)により正邪が判断される世界だ。
ゆえに、娘が牛車とともに燃え尽き、絵を描き終えて、醒めて、現実に帰ったあとは死ぬしかない。
折り合いのつけようのないところだから。
実際、「芸術至上主義」を現実社会で認めてしまうとそれを悪用する人も出てくるだろうから、現実には現実の論理で判じなければならない。
しかし、世間での倫理観も法も世間の目もなにもかも無視したところで、芸術に耽溺し、たとえ身を滅ぼしたとしても芸術や文学のためだけに心を燃やし尽くしたいと思っていた高校生のころの自分が顔を出す。
若いころはそんなことを考えていたので、かなり現実とは折り合いが悪かったのだよなぁ……。今はだいぶ楽になった。思春期とはほんとうにたちが悪い。
それはそうと、1公演で2回も死ぬのはメンタル的に大変そうだ。
・「業」が全員男役(女装)なのは、なんかわかる。
業Sのるねのスカートで目を覆われるちなつ、という振付もいい。
るねの色気は凄まじい。
昔見た、バウWSでのゴスっぽい女装を思いだした。あれからもかなりの経験を積みましたね。
・私が観劇した日、すぐ近くに小さなお嬢さんがいらしたのですよ。
1幕の芝居だけ観劇して2幕は帰ったのだが、2幕は見なくてよかったかもしれない。
小さなお嬢さんが観劇したとして『地獄変』の場面を理解できたかはわからないけれど、トラウマ的ななにか(それこそ「業」かも)が心の奥底に残りそうな気もする。
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