『ショウ・ボート』感想

OG

富山のオーバード・ホールで行われた『ショウ・ボート』3月15日(日)13時公演を観てきました。

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1927年初演のこの作品は、もちろん古さもありますが、現代にも依然として残る人種差別の問題、人生の苦さなどが描かれています。
それらには安易な解決などなく、問題は問題のまま、苦さは苦さのままに描かれ、観客に問いかけを残します。
ふんだんに音楽が使われたミュージカルですが重い作品でした。

ヒロインはショウ・ボートの船長(アンディ)の娘・マグノリア。
箱入り娘として育てられていましたが、賭博師・ゲイロードと恋をし、結婚して娘・キムをもうけます。

母の反対を押し切っての結婚も夫の稼業ゆえに破綻し、ゲイロードは彼女のもとを去ります。

窮地に陥っていた彼女を救ったのは、かつてショウ・ボートで主演女優をつとめていたジュリーでした。
マグノリアを妹のように愛していたジュリーは、外見は白人ですが黒人の血が入っているがゆえにショウ・ボートを下りることになった過去があります。
歌手の仕事を得るためにナイトクラブにやってきたマグノリアを見たジュリーは、マグノリアを救うために黙って職場を去ります。

数年(か、10数年? もっと?)ののち、ショウ・ボートには今をときめくキムの姿が。
アンディのはからいでマグノリアとゲイロードは再会し、落魄したジュリーはそれを幸せそうに見つめます。

細かい部分は省きましたが、ざっくりと記すとこんな筋です。

黒人のジョーが歌う「オール・マン・リバー」がこの舞台を屋台骨のように支えます。
「年老いたオール・マン・リバー 賢いが無口だよ 今日もまた流れてゆくよ」――ミシシッピ川になぞらえ、黒人の悲しさ、人生の辛さ、それでも続いていく人生や変わりゆく世の中を伝えます。

この「オール・マン・リバー」の歌が出色。
これが良くなくちゃあ舞台に深みが出ない。
長谷川さんの歌が最高でした。

剣さんのジュリーは、美しく、悲しい。
黒人であるという出自(何分の1かでも黒人の血を引いていれば黒人とみなされ、差別の対象となる)とそれを隠して生きてきたためか、彼女は自分を犠牲的に扱うことでしか幸せを感じられません。
根っこのところで、自分に誇りを持てないのでしょうか。
マグノリアのために2度身を引きます。

かつてはショウ・ボートで看板女優をしていたジュリーも、夫と別れ酒びたりの姿に。
けれどナイトクラブでの歌は人生を背負って素晴らしいんです。

そこに求職に来たマグノリアを見て、自らは去ることを決意します。
遠くからキスを送る姿の美しかったこと。
ここは泣きました。

最後は完全に落ちぶれた姿で登場します。
流転の人生にあり、「自分は幸せになってはならない」と信じているかのようなジュリーの姿に、救いのなさを感じます。
マグノリアたちの幸せそうな姿を見るジュリーもまた幸せそうではあるのですが、マグノリアたちの栄光は彼女の犠牲的精神によるもので、――この苦さがこの作品の意義なのでしょう。

マグノリアの娘・キムはしゅん吉が。(いやもうとっくに芸名が変わってることは知ってるんだが)
ラストシーンのみの出番でしたが、フラッパーガール姿で明るく登場。
新しい時代の訪れをあざやかに見せました。

現代っ子っぽさでさらっと場をもってくのはさすがだなぁぁぁ。
最後、車の後部座席の背中部分に腰かけて明るく去っていく姿もよく、キムはまさにこの作品の「救い」でした。

今回は歌重視で選ばれたキャストということでやはり歌が素晴らしい(そのぶんビジュアルは……でもありましたが)。
それを支える音楽も、また。
まさか富山でこんなオーケストラを備えたミュージカルを観ることになるとは思いませんでした。

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また、市民参加型ミュージカルでもあるので(その枠は超えてるけど)、最後に市民たちがチャールストンを披露します。
女性が多いためか男装している人もいますが、老いも若きも楽しそうに見事な踊りを見せてくれて、「パネェ……富山」と思い、また「ああ、踊る阿呆に私もなりたい」とうっかり思いました。

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Posted by hanazononiyukigamau