博多座版『明日への指針 -センチュリー号の航海日誌-』感想・2
●大劇場版と博多座版では役替わりがあったのですが、同じ役でも演じる人によって違ってみえてくるものですね。
たまきちが演じるナイジェルは、とても真面目な人だった。
真面目に仕事をし、真面目にジェイクを心配し、真面目に心の傷を抱えて生きてきた。
頑強な身体から漏れ出るからこそ、その押し殺した苦しみの重さが感じられた。
幼い彼の苦しみはいかほどだったろうな。
彼の苦しみは、本来彼が背負わなければならない種類のものではなかったはず。船が沈没さえしなければ。
いや、船が沈没しても。
彼だって「辛い」「苦しい」「悲しい」と言ってもいいはずなんだ。
人や運命を呪って生きてもいいのに、彼は自分だけを責めて生きてきた。
告白する彼の姿に、赤いコートを着てうずくまる幼いナイジェルの姿が二重写しになって見えた。
●相手役である、ナイジェルの恋人・ミーナを演じたのはたんちゃん。
ナイジェルの告白を聞いたときに少し後ずさるのがよかった。
彼女の動きで、ナイジェルの取った行動が、あの時代の人にとってどういう意味をもつものなのかわかるから。
私は現代の日本人なので、幼い彼が女装をしてボートに乗ったことをなんとも思わない。
けれど、その行動が彼をずっと苦しめるほどのものであることが、ミーナの反応を通じて伝わる。
相手役の反応ってとても大事だ。
そしてそんな彼女だからこそ、「いいのよ、そんな正直なあなたを愛したんですもの」というセリフに真実味が宿る。
清らかなだけではない、血の通った人間像が見えたから。
●ところで、このミーナを見ながら『ガラスの仮面』中の「二人の王女」の北島マヤの演技を思い出しました。
アルディスが生まれてはじめて町に出て、近寄ってきた浮浪者をとっさに拒否する場面。
だからどうってわけじゃないんですが。
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