笑顔のちから

宝塚一般

思いだし書き。

そういや『ファントム』を観にいったときには義援金箱の前にジェンヌさんのサインがなかった。
義援金箱自体はあったけれど出演者のサインのボードは置かなくなったんだ。

別にいいと思う。
ついバッシャバッシャとサインの写真を撮ってみたりしたけど、箱の中にお金はたいして入ってなかったし。
サインがなくても募金する人はするだろうし。

緑の袴でジェンヌさんが呼び掛けていたときは(日と時間帯によるだろうけれど)みな競って募金していた。
サインじゃだめなんだ。
ナマのジェンヌさんに近づいてでないと、だめなんだ。

復興支援うんぬんや募金本来の意義などはさておき、目的はどうあれ、ジェンヌさんにはそういうちからがあるんだなぁ、としみじみ思った。
これはきっとすごいことだ。
彼女たちの存在意義のひとつだ。

かくいう私も一度だけやりました。
なんせ会に入ったこともなけりゃお茶会すら行ったことがないので、物理的にここまで接近したことってない(ムラ遠征してればとおりすがることくらいはあるけど)。
ほんとにレア。
わくわくしてどきどきして投入のときを待ちましたよ。

問題は、私の前にいた親子がジェンヌさんに話しかけだしてしまってだな…(小学生くらいのお嬢さんが初観劇だったらしい)。
ええ、私めっちゃ手持ち無沙汰。
ずーっと親子の話が終わるまで待ってるのもアレなので、横からそっと入れてきましたよ。

そのテーブルには4人のジェンヌさんがいて、端にいた1人が笑顔で礼をしてくれました。

すごく嬉しいです。
なんか損した気分もないわけじゃないけど(4人全員じゃないという意味でね)、それでも自分1人のためにジェンヌさんが視線を向けてくれるのが嬉しい。
こんなの、機会があったら何回でも募金してしまいますって!

笑顔を向けてくれたのがどなただったのかはわかりません。若い感じの男役さんでした。
たしか月公演中だったから宙あたりかな…? という気はする。でも確証なし。

誰かはわからないけれど嬉しい。
でもこれって突き詰めてしまえば彼女らがジェンヌさんだからだ。たぶんそのへんの若い女の人だったらそうは思わない。

彼女らがジェンヌであるということはやはり大事なことで、そしてその笑顔にはちからがある。
その笑顔のためにファンは動いてしまうのだから。

…なんてことを、劇場の義援金箱を見たときに思い出したのでした。

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