6月20日から始まる宙組大劇場公演『Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-』の出演者が発表されました。
出演者数は62名。
現在の宙組生の名簿と一致します。
つまり、今のところ休演者はなし、宙組全員での再始動ということに。もちろん失われた命、去っていった方は戻ってきませんが。
宙組が動き出すこと、そしてそれが宙組全体での動きであること。
これらに複雑な気持ちがないとはいえません。
出演者が宙組全員である=(おそらく)劇団員への表立っての処分はない(少なくとも現時点では)のは、今年3月28日に劇団から出された合意書の以下の部分によるものなのでしょう。
本件は、劇団の組織運営の怠慢等がもたらしたものであり、その責任を負うべきは劇団であります
宝塚歌劇団宙組劇団員の逝去に関するご遺族との合意書締結のご報告
ので、本件に関する劇団へのご意見・ご批判に対しては、重く受け止めて改革に努めてまいる所存
です。
並びに再発防止に向けた取組について
このハラスメント事件に関わった宙組生が謝罪文を提出するも劇団からの処分がないのは、ある意味では妥当であり、ある意味では不当と思える――つまり、私にも消化しきれない部分があります。
96期事件のときのように劇団側が生徒を矢面に出さなかったのは、あのときよりは救いがあります。
加害者(とあえて言います)であれ、まだ生徒を庇おうとする気持ちが見えましたから。
しかし、10代の音校生ではなくいい年した(失礼)大人たちの集団で、立場に応じた責任を負わせないのは、結局のところ生徒を一人前の人間と扱っていないのではないかとも思えます。そしてそれが果たして「庇った」ことになるのかどうか。「庇った」ことが加害者にとって良いことなのかどうかは、考える余地があるのではないかと。
組の代表的な立場にある人間ならば、仮に自らが直接原因ではないとしても、立場に応じた果たすべき役目があるのではないのかと思うわけです。
もちろんハラスメント事件は劇団の体制によるものが大きい。だから劇団の責任は重大です。
だからといって、関わった生徒の責任が無になることはないし、それが謝罪文で済むべきものかどうか。なお、謝罪文を出した人物はいまも公には不明です。
遺族側と劇団側で合意がなされたことはもちろん承知です。
しかし双方での話し合いのみですべてが済むかというと――、正直なところ、ずいぶんと舐められたような気持ちです。
大企業でもあり、道義的な責任もあるのではないかと思うのですが。
宙組生は10月からずっと舞台に立っていないわけで、これ以上放置するわけにもいかないでしょう。そういう意味では再始動はとても嬉しい。
とはいえ、何もなかったかのような動きであれば、モヤモヤする気持ちは出てきます。
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