『近松・恋の道行』感想・9
・お姉ちゃんのおふさのさあやはさすがの上級生。
化粧もきれい。
・生玉神社境内でおふさとおさががやりあうシーンがあるんだけど、ここで浄瑠璃調で離すおさがは見せ場――のはず、たぶん。
おさがは浄瑠璃調の、現代語でない話しかたをするので、これは原作にあるセリフなのかと勝手に思っていたが、前述の小学館版の本には載ってなかった(ていうか、このシーン自体景子センセイの創作なんだよな)。
ちょっとびっくりした。
・ついでに原作つながりで。
同じ本に収録されていた『曽根崎心中』のヒロイン=お初は信仰心のある女性に描かれていました。
自ら発心して観音めぐりをしている。
そして「色に焦がれて死なうなら しんぞこの身はなり次第」……恋焦がれて死ぬのなら、ほんとうにこの身はどうなろうと構わない、と言っているのである。
まるで舞台版『近松~』のおさがのようだ。
最後のシーンで、心中した嘉平次とさがが近松門左衛門の筆を得て、人形振りを踊る。
浄瑠璃という舞台を得て、彼らの恋は昇華される。
そのときの黒衣は、これまで『曽根崎~』のお初と徳兵衛を演じていたゆずかれーちゃんと乙羽さんだ。
プログラムをみなければわからぬこととはいえ、これも物語上意味のある、なんらかの意図あってのことだろうか。
おさがはおさがであって、かつそうではない。
お初を生きてもいるのである。
0
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません