咲あや版・東京『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』感想・2

東京宝塚劇場雪組公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』。
現地で10月12日(土)11時公演を、ライブ配信で千秋楽の10月13日(日)13時30分公演を見ました。

モンゼットとシッシーナ

千秋楽では、オスカル派のモンゼット夫人(柚長)とフェルゼン派のシッシーナ(あんこ)が互いの推しを称えるエール。

柚長が「また会える日を楽しみにしているわ」とあーさに言うのは、あーさ雪組への専科として登場への布石?と思ってみたり。(どうだろう)

そして「フェルゼン、あなたはわたくしの夢になりました」とあんこさん。上手いわー。
もちろん咲ちゃん単独の音楽学校ポスターを踏まえてのアドリブです。

ブイエ将軍・まりんさん

専科さんの中には、役を演じていても演技以上にキャラクター性が際立ってしまう人がいるのに対し、まりんさんのどこまでも役として存在しているところが素晴らしいと思う。
今回の『ベルサイユのばら』は名場面ダイジェストの趣で、人物の書き込みが薄い。あらゆる出来事はかなり唐突だ。
ブイエ将軍の憎たらしさが、そんな作品の中でのオスカルの行動の動機として働く。

ほんと頼れる本専科さんです。

まりんさんがいれば宝塚の芝居は安泰だ。

縣アンドレの話

ベルばらといえばオスカルとアンドレ。

縣アンドレはまず肩幅と腕の長さと手の大きさが素晴らしい。
持って生まれたものとはいえ、舞台に説得力を与えてくれる才能ですね。
そもそも出演者は全員女性だし、ましてオスカルは男役が演じるので、アンドレはさらにオスカルよりもわかりやすい「男らしさ」が求められてしまう。
そこを体格の良さでクリアしつつ、しかも顔がいい。めちゃくちゃいい。「イケメン」というより昭和寄りの「ハンサム」「美丈夫」系なのも、ベルばらには似つかわしいのかもしれない。
いやほんと恵まれた素材でいらっしゃる。たとえ中身が「ちーちゃん」であっても。

ダンスのときも、しなやかな長い腕の動きを美しいなと思いつつ「腕が長いといえば三国志の蜀の劉備も……劉備の腕はひざにつくほどの長さだったか、そこまでじゃないな」とどうでもいいことに脳内を占められていた。勘弁してほしい。(私の脳が)

さて、フェルゼンからの手紙でアンドレの気持ちを知ったオスカルが呼ぶと、夜にもかかわらず3秒で出てくる男アンドレ。
隣の部屋なんですか?
いちおう男女だというのにふつうに考えると安心がすぎるだろう。
『金色の砂漠』の異性の奴隷並にどうかと思うが、今回のベルばらはダイジェストだからな。そのへんをまじめにやってたらまとまりがつかないのでいったん無視する。

ここから「今宵一夜」がスタート。窓を開けっぱなしなのも忘れよう。

絶対に一生言わないつもりでいた「愛している」をオスカルに言わされた感のある縣アンドレはよかった。
心の傷をえぐるような、罪を告白しているかのような痛みがあった。
それでも「千の誓いが欲しいか」は千ちゃんだけにね……と客席の90%は思っていただろう。誰のせいでもない。

「私を抱け」からの流れではオスカルと向かい合っているときは安心させるような笑顔なのに、視線が外れているときは執心の色が濃い。
「これが、愛なのか」などと年齢いくつだ?とつっこみたくなるオスカル相手ですので、あんまりガツガツしても怖がられそうなので、この向き合い方はたぶん正しい。

縣アンドレと朝美オスカルが宝塚歌劇の男女としての耽美さの正解をビジュアルから叩きだす。
強い……今後、これに対抗するのは難しいぞ。

そして縣アンドレの被弾はやっぱり上手いな。
蘭寿さんの蜂の巣を思い出した。

あーさオスカルの話

今宵一夜を経て、バスティーユを前に「アンドレ」と声をかけるオスカルの声の甘さがすごい。
さっきまでの凛々しい隊長ぶりはどこいった。
下まつげもバサバサで可愛い。
そりゃアンドレもやられますわ。
そして「この戦いが終わったら結婚式だ」とフラグを立てるな―――――!!!

アンドレを喪ってバスティーユの戦いに赴くオスカル。
銃弾に撃たれて「お前が耐えた苦しみなら、私も耐えてみせよう」は、先般結ばれたばかりの愛しい男の名を呼ぶ甘やかさがあった。
それなのに、続く「アンドレ、お前はもういないのか」で見せる喪失の悲しみがまさに悲痛で、あーさもまさしく芝居の人なのだった。

ひまりロザリーの話

ひまりちゃん演じるロザリーの「いや―――――!」の絶叫も素晴らしいんですが、その前のオスカルの死を悟る表情の変化が素晴らしいんですよね。
さすが演技派。的確な芝居をしてくる。

王妃アントワネットを逃亡させようとするフェルゼンに対しては「王妃として死なせてあげて下さい」と。
私、原作をいまだに読んでないんですが、原作でもこんな感じなんでしょうか。
けっこう歌舞伎だなぁ、価値観が昔の日本だなと感じるんですが。

要約すると「このまま王妃を死なせろ」になってしまうので、現代の価値観だとロザリーはかなりひどい娘である。
アントワネットの意志を尊重しているだけとしても、ロザリーが何者なのかが今回のベルばらでは描かれていないだけに、余計にね。

それでもあくまで可憐に、アントワネットへの思いやりと誠実さを見せる。
ひまりちゃんはいろんな芝居ができる娘役さんで、最後はロザリーという可愛い役であったのは演出家の愛でもあるのでしょう。

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