東京『蒼月抄』感想

東京宝塚劇場で花組『蒼月抄』を観てきました。
ムラで2回、この東京で2回の観劇。あとライブ配信の東京新公。
1階最前列と2階席での観劇だったのでバランスがよかった。

※以下、文句多めなので気になる方は注意※

物語の美学

見るの、ムラから配信の新公も合わせて4、5回目です。
『蒼月抄』はいい話っぽいけど、それだけに危うい話だな。

『平家物語』には平家鎮魂の、『蒼月抄』には滅びの美学があると思うんだけど、現代の、着々と戦時に近づきつつあるときに滅びの美学を見せることの怖さ。誇りのために命を擲つことを良しとする危うさ。大義や誇りは、「上」の人たちに都合よくつかわれますからね。
演出家や劇団はどう思っているのか。
宝塚や阪急には企業の論理があるにせよ、先の大戦でも宝塚は体制に与した歴史がありますからね。なにも今からあやうい土台を作ることもないでしょうし、平和のうちにしかこのような作品は心から楽しめない。

月のセットと和歌

B席だと月のセット見えないのね。タイトルからして「月」の文字が入っており、月が演出上の大きなモチーフのはず。
平家が全盛のとき、つまり少年時代の知盛が相国入道清盛と語る場面は満月を背景にしている。
平家が追い詰められるにつれ、背景の月は欠けていく。

ビジュアル的な問題だけでなく、月がないと見合いの場面で知盛が明子に月に寄せて語るのが伝わりにくい。
月が見えなくてもストーリーはわかるけれど、少々手落ちの感はあるわ。

このときに藤原の姫である明子が「蒼月の」と歌を詠むのも違和感。
私の無知であれば申し訳ないが、この時代の姫が「蒼月」という漢語を入れた和歌を詠むだろうか。
漢語を和歌に入れるというのは少なくとも定石ではない。
時代はさかのぼるが、函谷関の故事=鶏鳴狗盗を和歌に詠みこんだ清少納言さえ、「夜をこめて」と和語のみで詠んでいるのである。
「蒼き月」と和語なら和歌としてしっくりくる。

登場人物の話

なぜか、東京で見たときに平家の人たちの考えがわからなくなった。
感情の転換点があると思うんだよね。

脳筋の教経(きわみ)はわかる。最初から最後まで戦いに生きる。

平宗盛/はなこ

はなこ演じるお兄ちゃんは流されやすいよな……。
弟・重衡(ほのか)の命を救うために源氏に降参することを決めて最後の宴を開いてたのに、教経が命からがら帰参して流される方向が一族の滅亡につながるから、現代人としてはちょっと待てと言いたくなる。
「心が一つになってよかった」とか言ってんじゃないわよ!

もし降参したとして一族郎党皆殺しだから、それならば負けを承知で平家の誇りのために戦ったのではないかという考えもある。
しかし、この時代(平安末期)ってそんなに一族郎党皆殺しにしてたっけな?

天皇であれば血を流さず島流しであろう。隠岐とか四国とか佐渡とか。後高倉上皇(天皇にはなってないけど)だってあんなだし。
二位尼・安徳天皇とともに入水した中宮徳子は、救い上げられて大原野に庵を結んだ。
そもそもが、源氏の兄弟、頼朝・義経とて生かされていた。(平家にとってはそれが仇になったわけだが)
捕らえられた重衡は、作中ではすぐに殺されていそうだが実際に処刑されたのは1年くらい後のようで。
だから皆殺しになるくらいなら自ら引導を渡す、という選択肢はピンとこないのよね。

平時だったら、自分を過信せず弟たちの優れた器量も理解して人の言葉をよく聞けるいい棟梁だったかもしれない。

平知盛/ひとこ

清盛の生き写しといわれた知盛が平家の誇りとともに一族の滅びへと進むようになった流れがよくわからない。「やかましい」と言われてもなぁ。

やかましいというならば、清盛の呪い=平家の隆興を望む気持ちは捨てて、自らの生きざまを進む……という決断が必要。でもよくわからなかった。
隆興を捨てて、誇りのために一族郎党従えて死ぬんかいな。なんやねん、迷惑な。
「家の誇りのために」という前時代的な判断と、強大な家父長である父・清盛を振り切る「やかましい」という近代的な発言がどうにも相容れない。どっちかにしてくれ。

ここがストンと落ちないから、『桜嵐記』のパロディやりたかったんかなぁ?(失敗してるけど)という感想になってしまう。

平重衡/ほのか

弟の重衡。自分の命を捨てて平家の誇りを守るほうに舵を切ったきっかけがわからん。

ほのかちゃんの重衡は少年時代、水干姿の少年みに「研いくつだったっけ!?」と驚く。
めちゃくちゃピュア。
清盛の命で明子を斬ろうとする知盛を止める姿に、後の二位尼の「あの子は優しい子じゃった」が響く。
南都焼討での表情の変化も見事。恐れや怯えや後悔や……。

でさ。
南都焼討を後悔して、きわみ教経にあおられるも「平家の誇りを違う形で」と言ってたのに、一ノ谷の合戦は自らの命を差し出すつもりでしんがりを取り、自分がとらわれようとも玉璽は渡さず平家は戦えと教経に伝言する。
ごめん。マジでわからん。

なんか、熊倉くんが、平家物語の感動的な場面ダイジェストを作ろうとして、人間の中身と感情は置いてきた感があるんだよな。
ある種サイコ味というか。

サイコ味といえば、この日もらいと義経は絶好調のサイコパス味で「お前の血が見たいイイイイイ!!」と言い出しそうだった。この個性は貴重だよな。

対し、源氏の副将・梶原景時のだいや。やはり見せ場は一ノ谷で知章を討つところ。
敵とはいえまだいとけない少年を討つ逡巡もあり。
自分が父親であるからこその感情をスローモーションの中に詰め込んでいた。

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コメント

  1. seiko otsuka より:

    この時代にこのお芝居、、、
    私も疑問を感じ、危うさを覚えていましたので、花園さんに共感しています!

    • ゆきたろ より:

      共感いただきありがとうございます。
      ほんと危ういですよね……いらんことを危惧せず観劇したいです。

  2. みゆき より:

    この時代の武士はわりと負けたら一族郎党皆殺しです。
    親兄弟が別の貴族について戦って負けたら身内同士で処刑する感じ。武士の命が軽いのです。
    そもそも先の平治の乱で、平家が源氏を(ほぼ)皆殺しにしました。
    まだ子供の頼朝と義経が生かされたのは清盛の奥さん(時子ではありません)が可哀想だからと助命嘆願をしたから。
    その結果、頼朝と義経に平家がボコられているわけですから、戦いに負ければ平家の男性陣は全滅必至という状況です。

    個人的に蒼月抄の脚本はそこらへんが伝わらなさすぎだったと思います。
    重衡の和睦主張も、和睦したら源氏と共存できるみたいな言い方に聞こえました。
    そのせいで知盛が好戦派のアホみたいに見える。
    宗盛もここで降参したら命が助かると思っていそうな台詞。降参して処刑か戦って死ぬかの二択だろうに。
    ここでも戦闘継続派の知盛がアホみたいに見える。

    多分熊倉先生はスターをみんな良い人に描いてあげたい優しい人なのでしょう。
    宗盛も重衡も良い人にしてあげようとした結果知盛が考えなしのアホになってしまったんだと思います。

    • ゆきたろ より:

      この時代、皆殺しなんですね。詳しくありがとうございます。
      身内同士で処刑とは……凄まじいです。

      あの脚本がスターをいい人に描こうとの考えの結果だとしたら、空回りでもったいないですね。

  3. 島崎 依子 より:

    私も熊倉先生はただ、見せ場を作りたかったんだと思います。
    人間の繊細な心を上手く引き出していないと思います。
    だから、違和感が残ります。
    もっと心情を掘り下げて、この物語を描いて欲しかったです。

    • ゆきたろ より:

      場面の見せ方はすごくかっこよかったんですよね。
      ただお芝居としては……。
      もうちょっと、感情移入出来たらよかったのですが。

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