『NINE』感想・1

月組シアター・オーブ公演『NINE』を観てきました。
9月11日(金)11時公演です。
チケットはこの1回のみなので、あとは配信で見る予定。

雑感

面白かったです。

原作その他(映画とか別の舞台版とか)は知らないので比べられませんが、宝塚月組の娘役の充実を強く感じました。
といって、実のところメインキャストの女性役は大半が男役&元男役でして――というのが気にならないわけでもないのですが。
ただ、(元も含めて)男役だからこそ出せるものもあるだろうし、月組男役を全部おだちんチームに回したりお休みさせたりするわけにもいかないし、ついでに言えばチケット売らなきゃもあるかもしれないしねぇ……。

『NINE』は愛と喪失と救済の物語かな。
9才にしてサラギーナ(桃ちゃん)から愛を教えられるもそれを「恥」と烙印を押されたグイード。
ママ(るね)や修道女たちから教え込まれたキリスト教的な禁忌と、自らが得たものの断絶がかれの喪失の原点。

母なるもの(るね)、現実を生きる妻・ルイーザ、芸術的なミューズ・クラウディア(ぱる)、経済を示すプロデューサーのリリアン・ラ・フルール(まゆぽん)、性愛の象徴のようなカルラ(美渦)と、グイードは一人の女をまっすぐに愛することができない。

多くの女たちと愛を交わし、愛され、去られて、グイード自身はーーというところで自分と共にあった幼い心に励まされもし癒しもし。
妻の決断を受け入れることで救済される。少年だった傷を受け入れ、成長したということでしょう。

グイード・コンティーニ/ちなつ

前回の大劇場公演『RYOFU』で長年にわたり培った経験を見せ、気魄・技術・美しさともに男役としての真骨頂だと思った。
けれど、『NINE』のグイードもまた、それを更新してくる素晴らしさでした。
ちなつの演技力と存在感の凄さはなんなんでしょうね。

主人公・グイードははっきり言えばクソ野郎である。
宝塚の男役にはけっこうある、クソだけどかっこよさもあり魅力的な役だ。明るさも翳もある。
ほぼ出ずっぱりのちなつグイードは次々といろんな顔を見せる。
女の間を飛び回るさまは蝶のようでも道化のようでもある。
女たちに囲まれる円熟した色気に、40歳という年齢を迎えての才能の枯渇と人生の疲れも。

ちなつの歌やセリフはもちろんのこと、立ち方が素晴らしかった。力失っての肩や腕のうらぶれた感じ。背中で人間を見せる。
かっこいい場面はもちろんとてもかっこいいし、場面によっては笑わせてもくる。

ラスト近く、みうみんのリトル・グイードが歌うところからちなつは涙を流してましたね。
グイードが封印したものをリトル・グイードが一つずつ扉を開けていく。9歳の彼が、今の彼を赦す、解き放つ。

ラストシーンの、ルイーザに手を振るグイードは、宝塚男役のダンディズムとは離れている。
9歳の少年だった彼が、ルイーザを人として受け入れ、生き直すための離別だったのだと思う。

ルイーザ・コンティーニ/あまし

グイード(ちなつ)の妻・ルイーザにあまし。
彼女ももちろん名前を持っている。人格もある。若き日にグイードと恋をして結婚した。
結婚して、グイードをサポートしているうちにいつしか「グイードの妻」という自分の名前ではない呼ばれ方がメインになった。

空想の世界に生きているグイードにとって、現実を担うルイーザは本来必要な人だけど、どうしても相容れない。グイードに現実は重いから。

夫のグイードは映画にとらわれて妻を顧みない。浮気もする。言うこと為すこといい加減で調子が良く、あっという間にテンションが変わる。
それでも信じたいという気持ちの揺れもある。

だから2幕の『カサノヴァ』で自分をモデルにした役を女優に演じられたときに救いようのない亀裂が起きるのだ。
自分が軽んじられている、私はあなたのコンテンツではない、と。(正確な言いまわしは忘れたけど大意は合ってると思う。

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