
花組シアター・ドラマシティ公演『Liefie』について。
なんとなく優しくてほわっとしてて悪い人がいなくて「良さそう」な作品なんだけど、どうにも居心地の悪さというか、違和感を覚える作品でした。
真綿を敷き詰めた箱庭みたいな話。
みんな優しくて物わかりがよくて話が通じて、「他者」に出会わない。閉じた世界。
すべてが誰かが見た夢だった、としても納得する。
悪い意味で演出家に興味を持った。
全体に人間と社会の解像度の低さは気になった。
登場人物が全体に幼い。
特にミラとレオとヤンの幼さが気になって。ミラとレオはマイナス10才くらい、ヤンもマイナス5才くらいのイメージです。
ヒロインのミラに周囲が「もっとゆっくり大人になればいいのに」って言ってたけど、言うほど大人な性格の描写なかったよね?ていうか、ヒロインは実際のところ二十代半ばのいい大人だよね…?
交通事故で親を亡くしてる設定で、たんに仕事に遅れるくらいで心配しすぎる周囲って過保護すぎないか。
レオも寂しそうな顔で街を見下ろして、ひねたことを言ってるから10代かと思った。
でも主人公たちの幼少期を同年代のレオが見てるってことはやっぱり二十代半ば。
親がいなくて、代わりにまともに育ててくれる人もいなくて社会経験に乏しいのか……?
ヤンは元気いっぱいの少年だけど、11才にしては幼い気がする。あの落ち着きのなさは6,7才くらいかと思った。
主人公・ダーンたち新聞社の面々も、大学生のサークル活動みたい。
でもって主人公以外は元の部内でケンカして上長を殴ったりして異動になった血の気の多いメンツなのに、その設定はどこにいったのかとつっこみたいほどに、ほのぼの~。
このほのぼの新聞社、どのくらい社員いるんだろう。
部署はいろいろあるし地域面に7人も人員割けるくらいだからけっこう大きいんだろうか。でも町の規模はこぢんまりしてそうよねぇ。経営だいじょうぶか?
マイラ社長がダーンの連載企画書をパッと見でOK出したのも怖かったわ。
「ほのぼのやろうぜ、せーの!」とか言ってる場合じゃない。だいじょうぶか、この新聞社。
そう、この作品はメタ演出が多いのでした。
「ほのぼのやろうぜ、せーの」
「だって聖乃あすかよ」「社長、だれに話してるんですか」
「パーティーの準備中……あなたたちの世界でいうフィナーレね。これがシアター・ドラマシティ公演の緞帳!(そして緞帳の話をしたり歌い出したりするあおいちゃん)」
「(フィナーレの最初が)女ばかりでがっかりした?」
ざっと覚えてるだけでこんなもん。
メタ演出の多さは、観客への甘え、媚びにも感じました。
役名も芸名と重ねてるのが多くて(マイラ、アンジュ、リーンなど)、ふつうならただの遊び心で別段悪いわけじゃないけど、今回だとある種のごまかしっぽく見える。
プログラムに「物語を受け止めてくださるお客様がいて初めて成立します。」「劇場に来てくださった皆様のお力をお借りして」ってあるけど、客に頼りすぎじゃないか?
もし話がわからなかったりつまらなかったりしても観客のせいもあるってこと?
観客の責任で盛り上げろと?
「手で殴ったときのように、言葉でも痛みを感じたらいいのに」
「いつまでも可哀想って言われなきゃいけないのか」
「前に進まなきゃ」
「みなそれぞれ事情があるから、外から見ただけじゃわからない」
劇中の登場人物を通して語られる言葉。
それぞれはごもっとも。
優しい人たちが優しい言葉で世界を紡いでいく。心をもった言葉は伝わる。ほころびは綴じられる。傷ついた心はいたわりをもって癒される。
ただ、物語世界が自己完結しすぎて、「他者」がいなさすぎて、何も始まらない。
世界が開けないんだ。
作者(演出家)はよく言えば優しくて、はっきり言えば臆病なのかなと。
ていうか、登場人物とか出演者のことより演出家の内面が気になる作品ってどうなの。
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