『儚き星の照らす海の果てに』感想・2

3月22日にダブル観劇してきた『儚き星の照らす海の果てに』について。
観劇中にいろいろ気になったところの中心は星とヒロインの扱いです。
それを考えてたら「演出家、勉強しろ……いろんな意味で」と言いたくなってしまいました。

公演を良作だと感じていて、「いい感想しか読みたくない」という方はお戻りください。

ヒロイン=ポラリスという設定

主人公・トーマスとヒロイン・ヘレンの幼少期から物語は始まる。

幼馴染みの2人は夢を語り合う。
大きな船を作りたいという少年トーマス(きらん)。
トーマスのポラリスになり、トーマスのお嫁さんになるのが夢と語る少女ヘレン(みりん)。

うわぁぁぁぁぁ、ベタ~~~~~~!!!

(はい、この話の98%はベタでできてます。褒めてません)

ポラリスは北極星。
古来より船乗りたちが目印にしてきた揺るがない指標。
もし航海中に嵐にみまわれても、ポラリスを目印して遭難から逃れることができる星です。

そのポラリスにヒロイン・ヘレン(ゆゆ)をなぞらえるなら、主人公が人生に難航したときの救いになるのがセオリーです。

さて、主人公トーマス(らいと)。
ものすごく真っすぐに育ちました。人生も順調で世界最大の「タイタニック」造船にも携わります。
船の安全性について船主・イズメイ(あっしー)と対立しますが、迷いや惑いはありません。
だったら、ヒロイン=ポラリスである必要なくね……? だって、主人公は遭難してないんだもの。

「私があなたのポラリスになる」というヒロインの気持ちはともかく、真っすぐ育ってまっとうな人生を歩むトーマスは外から見るかぎりポラリスを必要としてないんですよね。いちおう仕事で疲れた主人公の心の支えになって勇気を鼓舞してくれるけれども。
まだトーマスの師範だったアレクサンダー・カーライル(峰果くん)のほうが「目指す軸」としての意味があるぞ。

ハレー彗星

今作ではもう一つ星が重要なモチーフとして使われます。
ハレー彗星です。
不吉な星の象徴で、タイタニックの沈没を予感させる道具立てとして使われます。(その一方で珍しい星の出現に登場人物たちは浮かれ星祭りに行きます)

しかし不吉さを予感させる道具立てにすぎないのがもったいない。
せっかくのハレー彗星をポラリスとの対比としてうまく使えないもんかね。

改案

というわけで改案。私だったら、ですが――。

そもそも主人公がポラリスを必要としてないのが問題なんだから、ヒロインがポラリス(=指針)としてる活きる脚本や人物設定にするのはマストかと。

主人公を悩ませろ。人生に迷わせろ。道を踏み外しかけさせろ。

あるいはポラリスだと思ってたヒロインが実はハレー彗星に近い存在だったとかにしたいところ。
せっかく2つの星が出てくるならきちんと生かしたい。

若き中村先生には、これからたくさんの本を読んだり映画を見たりして、脚本から人物の配置や設定を読み込んでいただきたい。ていうか、そういうの劇団ではやらないのかな。

私は中村先生という人をまったく存じ上げないのだが、中身がふつうの人すぎるのか?
ウエクミや栗ちゃん、さっしーの毒を1割くらいは混ぜたい脚本でした。

5

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