『f f f -フォルティッシッシモ-』感想・1

雪組大劇場公演『f f f -フォルティッシッシモ-』~歓喜に歌え!~、1月2日(土)15:30の回を観ました。

この作品が面白いのかどうかについては保留したい。
つまらないわけではないんだけど、ちょっと困惑しているというのが正直なところ。

ウエクミって、これまでの作品からして悲劇性が強くて文学的なイメージがある。
その悲劇性をオブラートに包んでコミカルに見せた。
(オブラートの役目は主にヒロさんとかあがちんとか、天界のひとびと)
期待外れとか期待を上回るとかじゃなくて、期待の斜め上を行かれてしまって、わたしは一観客として反応に困っているのであります。

ウエクミ的なものを観にきたつもりが、キムシンが出てきちゃったみたいな感じ。
(あるいは品のあるダーイシ)
場面によってはウエクミだなと思うところもあるんだけど、とにかく舞台の導入がキムシン的なものを感じたので面食らってしまったのですよ。

なので、ウエクミ的なものをはなから期待せずに、なんならポスターもろくに観ずに行ったらいいんじゃなかろうか。

まだ1回しか観ていないので、2回目、3回目と観たら感想は変わるかもしれない。
ウエクミが観にきてたみたいだし(2階7列後ろの補助席にいたのウエクミで合ってる?)、また手直し入るかもしれないしね。
といって、チケットは1月2日の1枚しか持っていないのだが。

・舞台の使い方が面白い。
花道から花道まで、舞台上、セリ、盆、銀橋をフルに使って、さらにオーケストラボックスまで。
袖にはけたり花道からはけたりする以外に、オーケストラボックスに消えるという技を駆使してました。

・主人公はベートーヴェンであるとともに、時代でもある。

観劇にあたって、あらかじめベートーヴェンの本を読んだんですよ。
ベートーヴェン、惚れっぽい男やなぁと思いました。
(でも人の一生を考えたらあのくらいの人数は好きになるかも、という気も)

そして、ベートーヴェンの音楽は楽器の進化とともにあったというのが驚きでした。
昔のピアノだと音域も狭いし、鳴りも小さい。
産業革命とともに楽器が進化して、より広い音域の複雑な音楽を奏でられる=作曲できるようになったし、大きな音を出せるようになったため多くの人に広い場所で音楽を聴かせることも可能になった。
音楽が大衆化する原因は、楽器そのものにあったんですね。

智天使・ヒロさんら天界側はこれまで神のためだった音楽が人の(=王侯貴族の)ものになったことにおかんむりだったけれど、ベートーヴェンはさらに大衆の音楽として成功したわけだ。

王侯貴族にへつらうのを良しとせず、王制を否定した革命を希望とし、大衆のための音楽で生きる糧を得たベートーヴェン。
それが可能だったのはそういう時代だったから。

ベートーヴェン以前は音楽家は楽器演奏が主で次いでに作曲もできる、というスタンスだったのが、ベートーヴェンのころを境に作曲でも食べていけるようになった。
人前で楽器演奏をしなくても、楽譜を売ればいい。
難聴で人前に出たがらないベートーヴェンも、作曲で食べていける。

そしてナポレオン・ボナパルト。
ゲーテはナポレオンに語る。
「あなたは戦争の天才だけれど、あなたの戦術や戦略が生かせるのは早馬が届く範囲だけ。あなたの手の届かないところでは兵士が死んでいる」(大意)
通信手段が発達している現代ならば、ナポレオンはさらに版図を広げていたのだろうと思える言葉。

これもまた、時代。

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