月組版『Anna Karenina』感想・3
・みやちゃんのアレクセイ・ヴィロンスキー伯爵は、とことん美しかった。
滅びの美学は宝塚の男役の華です。
未来を嘱望されたヴィロンスキーは、アンナとの愛ゆえに破滅のみちをたどるのだけれど、劇団屈指の耽美属性持ちのみやちゃんなので、ほんとにもう破滅が似合うったら!
けれど「破滅する(させられる)」という言葉の受け身のイメージではなく、「(人を)破滅させる」という能動的なほうが似合うわ。魔性系ですから。
自分の身分がどうあれ、相手の立場がどうであれ、ただひたすらに愛のみ。
困った人ではありますが、そこに迷いがなく、一筋に進んでいるからこその気持ちよさがあります。
また、アンナの気持ちを大切にしてもいるからね。
別荘での逢瀬も、アンナの訪れをひたすら待つ。そこがいい。
アンナを亡くしての旅立ちは、死地を求めていったんだなと。
アンナへの愛しかなかったから、それを失った以上はどうしようもないのだという気がした。
・れいこちゃんのカレーニン。
みやちゃんのヴィロンスキーとは、学年と役の年齢が逆転してますが、、舞台で観るぶんには違和感なし。
ヒゲなどに助けられているのはもちろんだけど、落ち着いた佇まいなどがカレーニンとして息づいていました。
カレーニンの宝塚版ゆえの美化があるせいか、アンナに「カレーニン夫人として」云々言うところは、「この、愛情表現ヘタくそが―――――!!!! 。・゚(゚`Д)゙」感がすごいっすね。
ほんとは、アンナのこと、大好きなくせに!!
そんなん言うたら、アンナは心閉ざしてまうやろ!!
おバカっっ。
いやまぁ、カレーニンの生きてきた世界ではそんなもんなんだろうし、彼の世界基準では間違ったこと言ってないのだろうよ。
カレーニンさん、照れ屋だし、チャラ男じゃないし。
でもなんだかんだ理由をつけては駅に迎えに来たり、競馬場に来ちゃったりするくらいには愛情ダダ洩れさせてくる人ですよね。本人、たぶん無自覚だけど。
(この天然さに萌えとくべき?)
競馬場の歌は切ないですね。
ヴィロンスキーを見るアンナ・くらげちゃんがほんと生き生きとしてるだけに。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません