月組版『Anna Karenina』感想・2

月組

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くらげちゃん演じるアンナ。いうまでもなく本作のヒロインにしてタイトルロール。

美貌と狂気を演じさせたら天下一品。
心を喪っていく役は、ラスパのゼルダ、エリザのヴィン嬢があったので、「お、またこの手の役」ではある。
けれど、彼女の芝居はやはりすごい。

貞淑な美貌の人妻がもともと持っていた、情熱的で野性的な愛がほとばしる。
ヴィロンスキーによってじわりと溶け出てくるような狂気をはらんだ情熱が美しい。

くらげちゃん演じるアンナの貴婦人ぶりは、ロシアの社交界において、さぞや完璧であったろう。
その完璧さというのも、きっと狂気なくしてはあり得ないものだと私は思う。
人は、どうしたって完璧ではあれないものだ。どこかしらはみ出てしまう。
それなのに「完璧」であるというのは、人並外れた精神力なくして起こりえないことだから。
いうなれば、100トンの爆薬を101トンの重石でもって押さえつけているような。

宝塚版なので、夫・カレーニンも人でなしではない。
愛の表現こそつたないが、妻・アンナに対して情のある人物として描かれている。

だから、アンナはカレーニンとの愛の感じられない生活から逃れたかったという気持ちはあったにせよ、ただ「裸足のアンナ」を解放してやりたかったのかもしれない。

ヴィロンスキーとの出会いによって、裸足のアンナは解放された。
けれど、大人である彼女は、ヴィロンスキーと生きられればそれでいいとはいかない。

見ていて特に辛かったのは、神に祈るシーン。
日本人で、さほど信心深くもない私には共感しえないほどの信仰心が描かれている。
命の瀬戸際に神に祈る。自分の罪の許しを請う。

信仰心が根っこにある。だから、誰が許そうと彼女は自ら許されることはないのだ。

さらに貴族社会。
男性であるヴィロンスキーは、箍を外した行いをしても社会で生きていける。
だが、女性であるアンナは常に白い目で見られ、愛する子供を手元に置くこともかなわない。

内からも、外からも、じわじわと追い詰められていくアンナ。
心のうちに元から大きな爆薬を抱えていても、兄・スティーバと同じようには生きられないのだ。

くらげちゃん演じるアンナの狂いの演技の見事さに心打たれつつも、男女での扱いの差には現代に通じるものがあるなと感じ入ってしまった。

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Posted by hanazononiyukigamau