たまちゃぴエリザLVを見たんだ

月組

たまちゃぴの月組『エリザベート』の東京楽をライブビューイングで見ました。
現地まで行かなくても地元映画館で見られるってありがたいよね。
チケット難公演だし、娘役トップの退団千秋楽だし。

私、このライブ中継でようやくみやちゃんのフランツをきちんと観れたのですよね。
ムラでは3回観劇したんだけど、1回目は前日の大雨の影響で電車が遅延し、2・3回目は代役が立った。
れいこフランツも素晴らしい出来でしたが、それはそうとやはり「本役」の演技はきちんと観たいものです。なんせただのヲタクなんで。

みやちゃんのフランツに感じたのは、「旧世界の正統」でした。

中継で、みやちゃんのフランツの美しさにびびるとともに、「僕の美しい帝国☆」となんの疑いもなく思ってそうなところに震撼しました。

「寛容で善意の皇帝と呼ばれたい」と歌うみやフランツ。
これも彼の善良さ(と気弱さ)からきたものではなく、「皇帝たるもの、下々には寛容であるべきだ」という彼の美意識からきた言葉に感じられたんです。

フランツの中にはフランツの思う「帝国」が存在している。
皇帝は神にも等しく(アルトワ伯か)、帝国を統べる皇帝は完璧でなくてはならず、皇帝が治める下々の民たちは皇帝を崇拝しなくてはならない。

――そんな風に感じられました。

幾分の悩みはあっても、彼は帝国を愛していたし誇りに思っていたのでしょう。

シシィのことは「僕の美しい帝国に飛び込んできた美しい子鹿」と思っていそうでした。

美しさが、僕の帝国にふさわしい。
やんちゃなところも、気まぐれな小獅子を手なずけるような楽しみがある。
完璧な皇帝は、破天荒さすらも手の内に収め、飼いならすのだ。

生まれながらにして帝位に就くことが決まっている身の、高貴さと傲慢さ。そして鈍感さ。
そりゃーシシィの悩みに気づけんて……。

そんなみやフランツがシシィを「僕の」ではないと気づいたのがハンガリー訪問だったのではなかったか。
あってはならない民衆の姿に「帰ろう」とシシィを促すフランツ。
それを撥ね退けて「エーヤン、ハンガリー」と民衆に応える強く美しい皇后。
美しく、「僕の帝国」にまだなじめないか弱い少女だと思っていたシシィが、力強く飛び出していった。
皇帝である自分の手の内には納まらない女性なのだと、いやが応にも気づかされた瞬間。

シシィを一つの人格として認識し、そこから本当の愛が始まったのだと思わされた。

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Posted by hanazononiyukigamau