『鳳凰伝』感想・4
・カラフの人間性について。
父王のことをタマルに任せて自分はトゥーランドットを求めるところや、アデルマ姫をこっぴどくふるところなども気にならなかった。
たまちゃんの存在感と誠実そうな雰囲気でごまかされてしまったのと、元がオペラだから「そういうもの」として自分の中で処理してしまったから。
「桃太郎」や「三年寝太郎」にツッコミ入れてもしょうがないだろう、みたいな感じかな。
あと、この意味わかんなさが『三国志演義』などの中国的ドライさに映ったというのもある。
「全ては夢よ」と歌われてああそうか、とすんなり腑に落ちてしまった。
アデルマ姫をこっぴどく振るのも「優しくしたって興味がないもんは仕方ないよね」と。
優しく断ればよかったんだろうけど、その辺のある種の人間味のなさが人民の上に立つ者として必要な王者の要素なのではないかと。
小さな村落共同体レベルで求められる優しさではなく、大中国を統べるにはある程度はすっぱり切り捨てていかないといけないだろうからと理解した。
・土の匂いのする月組子。
(ちなみに星組生がやったら血の匂いがすると思う)
「北京の民(男)」役もほとんど娘役がやってます。
人数足りんしな。
役として生きてるので違和感がありません。
あまり関係ないけど、小夏ちゃんの顔を見るたび「すごく月娘っぽい顔」と思います。
メイクをあまり盛らず、さっぱりしてるところが。
人数は少ないけど迫力はすごかった。
怖いよきみたち。
客席通路でじっと控えてるところ、近くの席のお客さんは嬉しかったのだろうか。
(私の席からは遠かったので)
・「お慕いしておりますトゥーランドット姫」の亡霊のナンバーが好きだ。
あの毛振りのところも面白いなぁ。
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