戦前「をとめ」

おとめ・レビュ本・写真集等

日曜日、阪急池田文庫で戦前~戦後すぐの『宝塚おとめ』(表記は『寶塚をとめ』)を見せてもらってきました。
(なるべく忠実に書こうとしているので旧字体を使っていますが、環境によってはうまく反映されないかもしれません)

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●まず昭和13年度版。これがおそらく最初のものです。

『寶塚をとめ 寶塚少女歌劇生徒寫眞集 寶塚グラフ臨時増刊 2598』と表紙にあり、裏表紙には「金壹圓」と。

送料に、「内地十五銭、外國四拾弐銭」と内地・外国の別があるのも時代です。
表紙のイラストは黒燕尾かなにかを召した男役らしき人と、つば広の帽子とマスクをつけたドレス姿の女性が踊っているもの。

・さて、中身。
まずは月組から。月組の組長さんは小夜福子さん。
その後、演劇科、声楽科、ダンス科、そして研究科の生徒さんの写真が並びます。

生徒さんらは銘々、好みの着物に、おそらくは緑の袴姿。黒紋付ではありません。
背景に木々が見え、場所はわかりませんがともかくも外で撮影したものです。

それぞれの写真は風船や鈴蘭の花の形に切り取られているものも。意匠を凝らしています。

雑誌のサイズが大きいです。B4くらいかな。

・月組の後に、天津乙女さんを組長とする舞踊専科5名の写真が並びます。
舞踊専科は組長さんを置きながらも、月組の一部なのかと思えるような配置になっています。
このあたり、ちょっとよくわかりませんでした。

いずれの生徒さんも写真と名前のみの掲載で、出身地、誕生日、初舞台、好きな花などの詳しいプロフィールは出ていません。

・その後は、初音麗子さんを組長とする雪組、三浦時子さんを組長とする花組、汐見洋子さんを組長とする星組の順に生徒さんが並びます。

今の宝塚ではこのようなときに「花・月・雪・星・宙」の順になるものですが、昔はあまりこだわりがなかったのでしょうか。
それともなにか理由が……?

●昭和14年度版。

着物を着た娘役のバストアップのイラストが表紙。小さく「MITSUHIKO TSUTSUI」の文字が見えます。筒井光彦さんのイラストです。
定価、送料は13年度版に同じ。

表紙をめくると森永ミルクチョコレートの広告があるんですが、その末尾が「銃後女性のために!」で締めくくられているのに驚かされました。
また、裏表紙裏に着物の広告がありますが、「愛國の華 雛菊着尺」とあり、こちらも「雛菊着尺 銃後女性が唯一の誇り。」で〆られています。
広告は時代を反映するとは言いますが、ほんとにはっきりと見えますね。
なお、森永ミルクチョコレートの広告は13年度版にも入っていましたが、戦時中を思わせる文言はありませんでした。

(昭和14年=西暦1939年は9月に第二次世界大戦が勃発する年です。前年には国家総動員法が施行されています)

・こちらも月組からスタート。組長は小夜福子さん。
柄の着物に緑の袴という姿は13年度版と変わらず。撮影場所はホテルの一室かどこからしき洋室です。
各組の演劇科、声楽科、ダンス科の生徒さんが並びます。

・写真は花や扇などの面白い形に切り取られることはなくなりました。

・月組の後、初音麗子さんを組長とする雪組、三浦時子さんを組長とする花組、たった2名の舞踊専科(嵯峨あきらさん、花里いさ子さん)と続きます。
この並びだと、舞踊専科は花組の一部のようですね。

・天津乙女さんを組長とする星組には、かっこ書きで(渡欧組)と。
巻末の目次には「日獨伊親善藝術使節生徒」と書かれています。
彼女らの写真は室内で撮ったものもありますが、外で撮影されたものが多く、また洋装のものもあります。

・研究科一年のコーナーが別に設けられていました。
その数83名。多い!
A班とB班に分かれていたようです。

●昭和15年度版。

表紙は中原淳一さんの手になるもの。
緑の袴姿の娘役の全身像です。

・生徒さんが月組から始まるのは前2冊と同様。
組長として小夜福子さん、副組長として佐保美代子さん、そして月組生徒さんの写真が並びます。
15年度版はお名前ごとに「○○科」とは書かれていませんが、巻末の目次は科ごとに生徒さんの名前が記されています。

・舞踊専科には天津乙女さんと雲野かよ子さん、花里いさ子さんの3人。
この号では、舞踊専科が月組の一部のような形に戻っています。

・組長を三浦時子さん、副組長を汐見洋子さんとする花組、組長を初音麗子さん、副組長を春日野八千代さんとする雪組へと続き、星組のコーナーがないまま研究科一年のコーナーへと。
星組、なくなったのか。

92名(大所帯!!)の研究科一年は、A組~D組の4つに分かれていたようです。

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