『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』感想・1

月組

『Bandito(バンディート) -義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』2月7日(土)11時公演を観てきました。
明日はダブルです。

男祭り感のある公演でした。(娘役がないがしろにされているわけではない。大野くんだからな)
でもって「とっても大野くん」でした。

私は前から大野センセイの作品が好きなのでいいのですが、人を選ぶというか、良作だと思うけれどそんなにリピート欲がわかないんだろうなという気がする。
ちょっと重くてちょっと暗くて、「男祭り感」はあるけど「お祭り感」はないので盛り上がりにくい……。
カタルシスに欠けるのかな。

私は好きだけどねぇ~(といって、東京まで追いかけていって観たいかと言われるとちょっと困る)。

主演のたまきちは流れ上、人に祭り上げられて「義賊」になってしまったサルヴァトーレ・ジュリアーノ役。
この「人に祭り上げられて」「慕われて」「夢を託されて」人々の中心にいる感じがとてもたまきちに合っていました。
人々に慕われる包容力や、野郎どもを統率するに足る人徳のようなものを感じるんですね。
ついでに、勝手に押しつけられた幻想を振り捨てられない人のよさも。

あーさのガスパレ・ピショッタ、まゆぽんのサルヴァトーレ・ロンバルドら「山賊」の中心にいるのがしっくりくる。
これがスターさんというものか、「真ん中」の人というものかと。

でも芝居で1人で舞台にいるとそんなに求心力を感じないのが不思議。
そしてフィナーレで1人で舞台に出たときは輝いて見えたからこれまた不思議。
なんなのだ、この人は。

この作品で面白いなと思ったのは、サルヴァトーレ・ジュリアーノの「人に祭り上げられて人の真ん中にいる」ところにツッコミが入っているところ。
宇月演じるヴィトー・ルーミアに「腹が決まらねぇ男だな」「そんなんじゃ、ついていくほうもやってられない」と切り捨てられます。

たいていのヅカ作品では、主人公が愛されているという状況こそが大事、本人のあやふやな気持ちは本人だけが悩むところで本質的な問題とはされない。
せいぜい自分探し的に悩むだけ(マサツカ作品とか特にね)。
この作品のように、腹の決まっていなさと主人公が切り捨てられることはほとんどなかったんじゃないかと。

主人公である山賊の首領=トップ/主演者というわけではないですが、「宝塚のトップに求められるものとはなにか」を考えてしまいました。
つまり、お前の覚悟はどうなんだ、と。
帝王学を舞台で観た気分です。

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月組

Posted by hanazononiyukigamau