花組『エリザベート』感想・3
●だいもんルキーニはあまりキレている印象のないルキーニでした。
もしかしてこの人まともなんじゃないだろうかと思うようなルキーニ。
ルキーニに狂気を求めていると肩すかしをくらいますが、そのまともさが狂言回しとして物語を透明に伝えているような気もしました。
『エリザベート』という物語から一定の距離をとって、観客に差し出す役割。
存在感はもちろんあるんだけれど、あくまで語り手の位置で、物語に過剰に食い込んではこない。
・そんなだいもんルキーニですが、トート閣下からナイフを受け取ったときに豹変。
だいもんに武器ですよ。
最強ですよ。ヤベぇっすよ。
まっとうそうにしていたのは冥府の裁判官をあざむくための演技で、中身はマジ●チと申しましょうか……はい。
目の色変わっちゃうもんね。
受け取ったナイフを垂直に立てて自分の手のひらに刃をスッと走らせる―――怖いです。
だいもんのイっちゃってる役というのは本領発揮すぎて面白いです。
あ、面白いという表現が妥当なのかよくわかんないけど。
●みっちゃんのフランツは「よくぞ専科からお出ましに……!」と敬意を持って迎えたくなる出来でした。
芝居上手い、歌上手い、存在感ある、ついでにダンスも上手い。
歌が耳に心地よすぎて客席でヤバかったのは前述のとおり。
若い日は眉毛をハの字気味にして、ゾフィーの下で苦悩しながらも誠実に執政する姿を見せる。とても大人しい。
息苦しくとも、それが常態であり、また皇帝の義務とわきまえている。
逆らわないのが母への孝行と思っていそう。
そんな彼がシシィに惹かれたのは、自分には持ち得ない「自由」と「生命力」をシシィに見たからだろうな。
自分の失ったものを持つ、憧れの存在。
シシィに自分を投影して、彼女が息をすることで、彼もまた息をしたかったんだと思う。
でもフランツはたぶん、自分がシシィに惹かれた理由に気づいていない。
無自覚だから、シシィを皇后に迎えることで彼女もまた息ができなくなることにも考えが及ばない。
彼が自覚するとすれば、おそらくは「鏡の間」の場面。
フランツがシシィの独立宣言を受け入れるのは、シシィへの愛ゆえではあるんだろうけれども、シシィがそのようであるからこそ愛した、ある意味自分を救ってくれる存在としてみているのではないかという気がした。
だからすれ違い夫婦であり続け、それでもシシィを追い求め続ける。
理想の自分を投影した相手だからこそ「戻って」ほしいとも思う。
実際にみちこ様がどういう気持ちでフランツを演じたかは知りませんが、私にはそういう風に感じられました。
・最終答弁で、「嘘だ あなたは恐れてる 愛を拒絶されるのを」と歌うところは、トートへの一矢報いる気持ちはなく、ただ冷静に事実を指摘している風でした。
だから威力は小さいのにクリティカルに痛いツボをついているような。
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