花組版『おかしな二人』感想・3

花組

『おかしな二人』青年館公演を2回観てきました。

みつるは上手いんだけど―――、と前置きしたうえで、みつるのファンの方たちにはなんだか申し訳ない感想。

観る側の問題だろうが、マヤさんと比べてしまって大変だった。

「あれ、こんなんじゃない」
「いや、これでいいんだけど、でも、なんか…」
「悪くない。悪くないんだけど、どうも…」

と、据わりの悪い思いをしていた。
初演のマヤさんの記憶ゆえに。

マヤさんは強烈だった。
上手いのもさることながら、インパクトがすごい。
『客家』その他、なにをみても「ああ、ミサノエールさんだわ…」と思ってしまう、強烈な個性の持ち主。

そんなマヤさんが初演のフィリックス・アンガーを演じた。
笑いと感動と涙と退団を惜しむ気持ちと……さまざまな記憶がまだ消えてはいない。なんせ1年と少ししか経っていないのだ。

たとえば、マヤさんフェリックスだと、「こんな男に美女が2人ともとられるなんて…!」というオスカーの悲哀・ペーソスに説得力があり、観客の笑いを誘う。
でもみつるフェリックスだとそうはいかない。
ウザったいけどビジュアルはふつうにかっこいいもんなぁ。

マヤさんがハマリ役だったというのは、そういう存在感・持ち味にゆえんする部分が大きい。
みつるには当然ないもので、けれどそれと比べられるというのは大変だったはずだ。

みつるは役者として舞台に立つ以上なんとかしなくてはならない。
それをみつるは役者の力量としてどうにかしようとしていたんだろうけれど、さすがに困難な課題だった。
演技は上手いけど、初演版が強烈すぎる。
上手いヘタの問題を超えたところにこそ問題があるんじゃないか。

みつるはまじめな人だと思う。
中の人の性格は雑誌やテレビなどで垣間見るレベルでしか知らない(ようするにろくにわからない)けれど、舞台で演技をする上ですごくまじめだと思う。

うまくて、真摯で、きちんとしていて、どんなにはじけていても一定以上は枠からはみ出なくて…。

ほんとうに「役者」なんだと思う。
好き放題できない。

あのマヤさんの記憶がぶっとぶくらいにすごいフェリックスというなら、きっとみつるのような「役者」じゃなくて、特別な「キャラ」が必要なんだ。
たぶん、えりたんとか、蘭寿さんとか、べにーとかなら、私はマヤさんバージョンとは全く別のものとして、『おかしな二人』のフェリックスを楽しめたと思う。
(もちろん彼女らが「役者」でない、と言いたいわけではない)

みつるフェリックスを観ながら、私はずっと今そこにいないマヤさんのことばかりを追っていた。

初演版を観ていることをとても幸福に思うし忘れがたい記憶であるけれども、同時に、その記憶がなければ目の前の舞台を、みつるフェリックスを楽しめたろうなと思う。

初演のインパクトから解き放たれず、それとは分けて感想を持てない自分の力不足をふがいなく思った。

とはいえ、みつるフェリックスだってもちろん良かったんだ。
みつるのきちんとしていてはみ出さない演技は、舞台での上品さ、行儀のよさの表れだ。
集団で舞台を作る上での長所だ。

マヤさんに対抗し得るインパクトを持ちつつ、舞台を崩壊させずにきっちりしたコメディーを演じるというのは至難の業。
ないものねだりに近いものなんだろう。

それに、1幕はマヤさんの亡霊(失礼)に悩まされたけど2幕以降はさほど気にならなかったし。
エプロンをつけてスイッチが入ったのかしらねぇ。

みつる版のほうがわかりやすく “甘えた” な感じがしたな。
坊っちゃん生まれ、坊っちゃん育ち、マザコン、妻依存(本人には自覚なし)。
生後数ヶ月でオマルを洗わされたのは、それだけしつけの厳格なものすごい家庭の生まれだったってことだ。

あと、若いせいか体のキレがすごかった。
窓を前にしての振りむき方とかさー。

しかしキレがよすぎて「キミは絶対からだがつらない! おかしくならない!」と言いたくなったよ。

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Posted by hanazononiyukigamau