『エドワード8世』感想・6
初日あけてすぐに観にいったときは主演コンビのあいだに「恋」が見えにくかったんですが、2週間をすぎて観るとちゃんと「恋愛物」になってました。
舞台って生き物だねぇ。日々演技が深まっていく。
大きくかわったのはまりもちゃんのウォリス。
優しさが前に出て、あたたかくしっとりした女性になった。
口調が柔らかくなって包容力が出た。
「母性」があるけれどもいわゆるオカンではなくて、デイヴィッドが惚れる女性としてしっくりきた。
「甘えないで」と突き放すときも、ウォリスの感情の揺れがみてとれるようになった。
女らしい甘やかさが出た。
そしてどこか包み込むような、「あなたならできるでしょう?」と背中を押してくれるような響きがある。
きりやんのデイヴィッドに、父王の死によって王位がやってきたあとのこと。
わかってはいたものの責務は重く、あらゆる人から期待され、戦うことを余儀なくされ、孤独な王であることを強いられる。
「国王陛下、万歳」と掛けられる言葉の無機質さに彼は耐えられない。
ウォリスだからすがった。
デイヴィッドが王位をなげうって追っていくのがわかる――そんな女性にみえる。
たぶん、まりもちゃんの演技が変わったから、デイヴィッドとウォリスの関係が「恋」にみえるようになったんだ。
娘役って大事だな。
もちろん、きりやんも変わった。
時間は遡って、ジョージ5世陛下在位25周年を祝うジュビリー・ボールの席のあと。
「一人でいるとおかしくなりそうだ」と語るとき、初日近くよりも色気が出るようになっていたと思う。
ラスト近くの「退位の歌」は圧巻。
“けれども人は誰も 自分だけの道を見つけ信じて歩む
ここで生きた愛しき日々 全てを抱きしめて別れを告げよう”
現実の、きりやんの退団とあいまっていろんな感情が観る者に押しよせる。
見つけた道――それは自分の選んだただひとりの女性と生きること。
オープニングの時間軸にもどってラジオを通じて語る既に亡きデイヴィッドと、それを聞くウォリスの表情、声、息づかい。
ここに2人の感情が宿る。
そして世紀の恋をしめくくる結婚式の情景をもって幕は下りる。
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