『みんな我が子』感想・2

「息子の死を認めない」これは母・ケイトの息子への盲愛ゆえに生じた愚かさによるもの――と思いきや、それには裏があった。

息子・ラリーが死んでいたら、家の闇を認めねばならない。
「偉大なる強い夫」のしたことを直視せねばならない。

ケイトは実際には気づいている。
息子の死も、夫の犯した罪も。
それでいて、それを認めず笑顔で隠し通すことで家を守っている。

これは彼女の弱さなのか、したたかさなのか。

ターコさんのケイトは怒りもするけれど、笑顔が怖かった。
笑顔の下にどれだけのものを秘めているか。

アンの兄・ジョージが妹とクリスの結婚を反対しにかつて住んでいた町にやってくる。
「ぶどうジュースは勧めたの? こうやって勧めなきゃ」
アンにこう言うときの、作り笑いの中の、底冷えのするような怖さといったらなかった。

コムロさんのアンは美しく凛とした娘だった。
青いドレスが似合う。

腹のなかに一物も二物もあって、いろんなことを隠蔽した中に生きる町の人たち。
聖人のようなクリスでさえも、自分の父のしたことを半ば気づきつつ見ないふりをして生きている。

アンはそのなかで「よその町」から戻ってきて、存在そのものが皆をひっかきまわし、町の暗部を明るみに出す役目を持つ。

たとえば隣人のスーがアンに向かってクリスへの暴言を吐くところ(以下、大意ですが)。

「あなたたちは遠くで結婚して。決して町にはいないで。クリスはキレイすぎて私の迷惑になる。彼に感化されて自分の夫が仕事をしなくなる」

すごくもっともだ。
しかし面と向かってはなかなか言われないことだから、告げられることの衝撃が大きい。

アンもクリスも、町の中では「アウェイ」だ。
本人にその意思があろうがなかろうが、アウェイだからこそ、町の闇を暴きたてる。
暗部に光を当てて隠されていたものをあらわにしてしまう。

アンはクリスの家族や町の人からの扱いに対して、憤り、胸の中に収まらぬ感情を抱く。
それでも彼女はあらゆることに誠実にあろうとする。人にも物事にも。
そんな清さと強さがあった。

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