『オネーギン』感想・5
原作の日本語訳を読み終えたんですが、芝居ではテーマの骨であった革命がまったく出てこないことにびっくりしました。
ほぼ恋愛オンリー。
革命や政治・社会への思いが入ったことでオネーギンの人格に深みや奥ゆきが増したので、その点で景子センセイグッジョブ! と言わずにいられない。
巻末についていたプーシキンの生涯もすごいものがありましたよ。
決闘で命落としてるんだもの…!
緒月の「ある革命思想家」。
――彼の正体ははじめは明かされていなくて、最後あたりでオネーギンから手紙の形をとって明かされるんだけど、そのときに目の前が開けるような、光がばっと差し込むような錯覚に襲われた。
ただの物語のはずなのに現実との回路がいきなり通った。
ズガン、ときた。
オネーギンという他人の話がいきなり自分の物語になったように感じた。
そのあとオネーギンが銃を手に取るに至ってその感覚はさらに強くなった。
私は、この社会でなにをしているんだ? なにをできるんだ?
こんなのんきに芝居を観ていていいのか?
そんなふうに考え始めてしまって、自分の足元がぐらつくような気分になった。
怖い、芝居って怖い。
文学って怖い。
人をゆさぶれる物語ってすごい。
といいつつ、ご覧のとおり今も私はのんきに芝居を観、政治と関わりなく毒にも薬にもならない公演評もどきをブログに書きつづっているわけですが。
でも今までに観た公演の中のどれよりも真剣に現実社会や歴史に思いを馳せた。
とりあえず、政治や思想を声高に語りたがり芝居に盛り込みたがる演出家陣(誰とはいわんが)に言いたい。
このレベルで人をゆさぶってみろと。
声高に語るだけが現実社会との回路となりうるのではないのだと。
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