『大江山花伝』感想・4

宙組

酒吞童子のまさこ。

演技も存在感も決して悪くないのに正直なところなんかしっくりこないと思うところがあって、その原因をしばらく考えていました。

で、その違和感の原因を探っていたのだけれど、
どうもこの芝居のもつ雰囲気とまさこの酒吞童子の出す色が合ってない気がするんだ。

この作品の原作が書かれた時代は昭和。
初演も1986年だから今をさかのぼること20年あまり。
今回の演出は中村Aだけど、基本的に昭和のままの色を舞台がもっている。

曲調も演出も今になっては古典。
小芝居や繊細すぎる心理表現よりもハッタリや雰囲気で舞台空間を埋めることを要請されている。

で、まさこの酒吞童子。
なんだか現代的なんだ。

ビジュアルは「鬼の首領」としてバーンと押して立っているのに、動きにもセリフまわしにもケレン味は少ない。

ケレン味を感じたのは最初に女たちがさらわれていくところくらい。
鬼の四天王を従えて雲に乗っているところは歌舞伎的な派手さがあって視覚的な快感があった。

でもその後の酒吞は鬼の首領というよりも愛する女を人間に殺されたその恨みを抱えた1人のひと、といった感じ。

そして茨木童子の「お父さん」。
軋みのある親子関係に心を痛め、ゆうひさん演じる茨木に「父上」と呼ばれてかれのわがままをゆるしてしまうような。

鬼ではなく人。
そういう意味では北欧バイキングの裔であり、起源的には化生のものではない、という設定には忠実かも。

人の中にある弱い部分、よくない部分をとりだしてカリカチュアライズせずに性格の一つとして出しました、といった感じ。

そーくるか?

でもこの役は“鬼”で見たかったような気がするな。
まさこの人間的な演技だと現代的すぎて『大江山花伝』のもつ物語の雰囲気に合ってない気がする。

それにこの話の基調が「鬼の中で育った“人”(=茨木)の悲しさ」「鬼と人との対比」にあると思うからさ。
酒吞が“鬼”でないと茨木の悲しさが浮かび上がってこないと思う。

その点で酒吞はまず“鬼”としてきっちり立っていてほしかった。
たとえ内面に“人”の部分を隠しもっていたとしても。

でも、これが昭和な『大江山花伝』でなければ、演出が現代的なものであったとしたら、まさこの酒吞はすごくいいと思う。
特に息子・茨木との確執を描く場面では感情移入させられる。

まさこは背が高いのもあって「鬼の首領」「茨木童子の父」としての貫禄がある。
学年の若さを外見で充分にカバーできるって強いなぁ。
これからもこういう別格寄りのおいしいところをやっていくんだろうし。

ゆうひさんと実年齢差(学年差も同じですが)にして7歳あるというのに無理が感じられなかったもんなー。
それでいてただのおっさん役者じゃなくてキレイなのがいい。

にしても「茨木童子はどうしたかなぁ?」の言い方はツボるな。
ちょっと意地悪で息子にかまいたくて仕方ないお年頃なのか? とか考えてしまう。
なんかニヤニヤする。


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Posted by hanazononiyukigamau