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宙組大劇場公演『宝塚110年の恋のうた』初日を観てきました。
2025年1月1日13時公演です。
作・演出の大野センセイは月組で『ゴールデン・リバティ』を、宙組でこれをやってるわけでお疲れ様です。稽古期間かぶってない?だいじょうぶ?
今作は日本物のレヴュー。
昨年の『Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-』が王道の洋物レビューだったのと対のようでもあります。
『Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-』は宝塚の過去の名曲・名場面を再構成して歌い継いでいたのに対し、『宝塚110年の恋のうた』はいくばくかのストーリー性があります。
藤原定家(キキちゃん)と式子内親王(はるさくちゃん)の恋を軸に、歌を詠めなくなった定家のために力添えをする八千代(ずんちゃん)と、歌の神様である衣通姫(おいちさん)が絡む。
定家と式子内親王は平安末期から鎌倉初期の歌人、春日野八千代をモチーフとした八千代は昭和のタカラジェンヌ、そして衣通姫は『古事記』などに出てくる人物で、今作では「歌の神様」というポジション。
この4人が通し役で、特にずんちゃんとおいちさんが芝居をしつつコメディパートを担いつつ、定家にいろんな時代を案内しつつ「歌」を取り戻させる。
こんな時空を超えた4人(3人と1柱)が通し役で……となるので、そりゃとっちらかりますわな。
上手くいったらおもしろいけど、えっと、正直にトンチキだったと言ってよろしいでしょうか。
トンチキ、嫌いじゃないですけどね。ええ。
定家と内親王の恋になぜ(春日野)八千代が絡むのかというと、恋の歌が喪われた時代を生きた人だから。
『翼の決戦』の場面。太平洋戦争のために宝塚が軍国主義に加担し、恋の歌ではなく戦の歌を歌わなければならなかった時代がある。
「なぜ私は軍歌を歌っているのだろう。私は恋の歌を歌いたいのに」と八千代が心情を吐露する。
戦争は終わり、宝塚は110年の愛の歌を歌い継いでいく。
その姿を通じて、定家も歌への情熱を取り戻す。
――そういう流れで、LOVEの女・みねりちゃんや、LOVEの男たちが出てくるんだけど、日本物の白塗りでドレスや黒燕尾はなんというか……。いや、これもレトロであの時代には合ってるんだろうか?
さらには戦時中の表現として海軍人やセーラー服にモンペ姿の女学生(勤労隊)もいるもんで、舞台上のビジュアルはすごいことになっていた。
さらには琉球や蝦夷の歌もあって場面に応じた衣装で歌い踊る。
なんでもありというか、全てを盛り込もうとしてえーらいこっちゃになってる感が。
もちろん、きれいでうっとりする場面もいっぱいあるんだけど。
幕開きなんてチョンパだし(銀橋にいるのはキキちゃんだけだったかもだけど)、キキちゃんの『恋の曼陀羅』とか美しいし。
淡々と優美な日本物レビューを想像してたら意外なほどトンチキだったのでびっくりよ。
公演名と曲名と上演年が舞台上のモニターに出る親切仕様なのはありがたかったです。さすが大野センセイ。
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