『ハリウッド・ゴシップ』感想・3

2021-02-11雪組公演感想,雪組,専科

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今回の作・演出は田渕センセイ。
彼の書いた過去作品、原作のあるものは除いて、すべて私の評価は低い。
『Victorian Jazz』も『SANCTUARY』も『相続人の肖像』も『異人たちのルネサンス』も、すべてだ。
私の評価がどうだろうと世間的にはなんの意味もないのだが、ここは私のブログなので世間における価値はさておいて話を進める。

「人の使い方」において、過去作品はかなりタカラヅカらしかったと思う。

スターにはスターの、ヒロインにはヒロインの、上級生には上級生にふさわしいポジションと役。
でもって、役らしい役がもらえない人にも見せ場はちゃんと作る。
ファンが喜びそうなサービスシーンもきっちりご用意。
『SANCTUARY』での愛ちゃんとりんきらのとうとつすぎるキスシーンとかさ。『Victorian Jazz』のゆずかれーちゃんの登場シーンも、勝手に妄想するには十分だった。

そのタカラヅカ的サービスをふんだんにした作品は、かなりの割合で破綻していた。
とにかくご都合主義、登場人物の人格がむちゃくちゃ。
スターを見るにはいいが、物語や芝居を味わうにはちょっとねー……。

で、今回の『ハリウッド・ゴシップ』。
びっくりしたのは往年の大女優・アマンダ役がみとさんだったことだ。
過去の田渕くんなら娘役スターにつけたと思う。それか男役スターにキャスティングして、腐女子にサービスだ。

アマンダは、かつての愛人でスターにしてやった俳優・ジェリー(なぎしょ)のせいで映画界から干されている。
ジェリーを見返すためにコンラッド(咲ちゃん)をスターに仕立て上げる。
しかし……。

嵐の日のシーン。
みとさんのメイクがすごい。
泣いているような、ピエロのような、目元を崩したメイク。
「老醜」「老残」という言葉が脳に浮かぶ。

最初に観たときは、メイクが崩れてしまったのか、わざとなのか、こちらの目の錯覚かわからなくてぎょっとした。
老いたジェンヌに、これでもかと老いを感じさせるメイクをさせる。「醜さ」を思いきり見せつける。

タカラヅカ的なきれいさを超えたキャスティングと演出だった。

そうやってできた『ハリウッド・ゴシップ』はめちゃくちゃ面白かった。
一言でいうなら、タカラヅカ的な演出や配役を捨てたからだと思う。
「スターだから見せ場はこう」「こういうセリフが必要なはず!!」という枷を外して、物語のために必要なものをきちんと出したから面白かったのだ。
(それに「タカラヅカ」はけっこうなんでもアリで雑多なものだから、かなり枷を外したところで結局は「タカラヅカ」に落ち着いてしまうものという気もするわよ)

それでいて、田渕センセイはちゃんとスターの見せ方も心得ている。伊達に何年もタカラヅカの演出をしてきたわけではないものね。

今作の面白さが、今回限りのものでないことを切実に願う。

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